自由と民主—象徴天皇の在り方2017年07月04日 18:42

 日本における、いわば「非文明」の時代であった、縄文式土器の時代は約1万年間続いた。この時代の人が精神的に安定していたのかどうかまではよくわからないが、自然と折り合って生きていたのであろう。やがて農耕文明の影響を受けた弥生式土器の時代になると、人々は文明生活にとって不都合な自然を克服しようとするようになる。集団社会を創り、周囲に外敵から守るための環濠を築くなどした中に住み、国の始まりが見られるようになる。そのリーダーは一般民とは別の特別の墓に埋葬されるようになる。「文明」の始まりは格差社会の始まりでもある。
 こうして文明社会ができるが、「文明」が進んでも克服しきれない自然の力に遭遇し、これと折り合うことができず挫折すると、これに対処して心の安定を得るために神の助けを借り、宗教が生まれたのではないだろうか。さらに近代になって、科学技術が発達し自然の克服が進むと、神の必要性は減り、無神論者も現れてくる。
 しかし所詮科学技術には限界があるので、近代人も宗教が捨てきれない。エーリッヒ・フロムは社会心理学的な観点から自由からの逃走を説いたが、自由に生きることを得ようとする文明人も神なしにいられないことを自覚せざるを得ないという現実が文明社会の根本にあるのではないだろうか。
 神風なんか吹かないことが明白になった敗戦後の日本で、私は、これから人々はもっと科学的で合理的なものの考え方をするだろうから、神や仏を信じる人は減るのではないかと思った。しかし、どれだけ宗教心があるかどうかは分からないが、若い人達の間でも神社仏閣詣でが盛んである。それどころか明らかに非科学的な預言にさえのめり込む。
 フロムは権威から自由になった人間が孤独と不安から逆に絶対的な権威を求め自由を捨てるというが、この循環をフロムがいうように愛とか創造的仕事とかだけで本当に解決できるだろうか。むしろ神を必要とする人が多数なのだと諦観して、人の数だけある様々な神と折り合って生きる知恵を持つべきではないだろうか。
 フロムは自由な社会であったはずのワイマール共和国で人々がヒトラーのファシズムへと逃走したと論ずるが、日本には天皇という権威がある。律令国家を創った天智・天武の頃の天皇は政治的な絶対権力者であったが、やがて貴族が政治権力を握り、幼少な天皇でも務まるようになる。さらに武士が武力を背景に政治権力を握るようになると、天皇はいっそう権力から遠ざかり、文化的な権威になっていく。決定的だったのは承久の変で、権力を武士から奪取しようとした後鳥羽上皇が敗北し、政治的権力は剥奪されてしまう。このため後醍醐天皇の一時期を例外として、天皇は政治権力から敵対されることは無く、天皇家が滅ぶことを免れた。
 明治維新政府は天皇を政治利用するが、天皇の独裁が認められたわけではなく、元老達が権力を握っていた。伊藤博文が皇太子に生まれることは最大の不幸であるといったのは、その間の実情を物語るものであろう。ワイマールからヒトラーのファシズムになるのと呼応するように、大正デモクラシーから昭和になると神聖化された天皇の統帥権を振りかざした軍部が独走して戦争に突き進むが、破綻して敗戦を迎える。天皇は再び人となり、政治権力から離れて国民の象徴となる。
 キリスト教世界では法皇や教会のような宗教的権威が残っているが、日本にはそのような宗教的権威はない。しかし、自由で民主的な国になった日本の人々にとって、象徴天皇制は一種の神というか宗教的権威なのかもしれないとも思う。
 とりわけ現在の社会状況は自由で民主的であるはずの社会の矛盾が続出し、何か全ての人々が納得する権力か権威を求めているのではないかと思われ、ヒトラーのような絶対的権力は望まない人々が、象徴としての天皇の存在をより意識するようになったのではないか。だとすると、敗戦直後に天皇の政治権力を剥奪するために象徴天皇としたという事情とは別に、今の時代の象徴天皇というものの意義をよく考えるべきであろう。おそらく敗戦後に皇太子となった今上天皇は誰よりも自分のこととして、象徴天皇の在り方を考え続けてきたのであろうと推察されるので、その考えを尊重しつつ、国民一人一人が象徴天皇像を構築していかなければならない。

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