規範守らぬ西野監督?2018年06月30日 17:31

 朝日新聞の忠鉢信一氏はサッカーW杯でポーランドと日本の戦いの後半のパス回しについて、「規範」守らぬ西野監督と批判している。
 忠鉢氏は「規範」として、「JFAサッカー行動規範」の「1 最善の努力 どんな状況でも、勝利のため、またひとつのゴールのために、最後まで全力を尽くしてプレーする」と、国際サッカー連盟(FIFA)「フットボール行動規範」の「1 勝つためにプレーする 勝利はあらゆる試合のプレーする目的です。負けを目指してはいけません。もしも勝つためにプレーしないのならば、あなたは相手をだまし、見ている人を欺き、そして自分自身にうそをついています。強い相手にあきらめず、弱い相手に手加減してはなりません。全力を出さないことは、相手への侮辱です。試合終了の笛が鳴るまで、勝つためにプレーしなさい」を挙げている。
 これらの「規範」は主として選手に対する行動規範のように見えるが、選手は自ら戦おうとしなかったわけではなく、監督の指示にしたがったのであろうから、これを責めるのは酷であろう。責めは監督にある。
 もちろん「規範」は監督にも求められるであろう。では監督は「規範」を守らなかったといえるか。「規範」は個々の試合の個人の規範を説いているようであるが、W杯のような場合、監督にとっての「勝つためのプレー」とは、少しでも上に進み、できれば優勝するということであろう。西野監督はそのための全力を尽くしたのではないか。勝負師として見事という見方もあるが、一か八かに賭けるというような博打をしたのではないと思う。現に戦っている選手達の状態を見極め、同時進行中のコロンビアとセネガルの試合ぶりの情報も考慮して、上に進むという監督の任務として最善の選択を行ったのであろう。賞金が多いことを考慮するサッカーくじなどの博打と同列に扱うのはおかしい。
 そもそも、サッカーを見ていていつも感じるのは、サッカーは格闘技だということである。したがって「規範」が述べるように全力を尽くせばラフプレーになりがちで、それがサッカーなのだろうと格闘技が嫌いな自分は感じる。あまり酷ければ、ペナルティーや退場が命ぜられるので十分ではないか。それなのに、これにフェアプレーという名の別の規準をとりいれてリーグ戦の順位を決めることに矛盾がある。得失点差が同じならくじ引きにしておけばよかったのだ。ルールに従った監督や選手をフェアでないようにいうのはおかしい。
 忠鉢氏は批判する相手を間違えている。

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