戦力と原子力に対する民意は? ― 2013年01月05日 12:02

 自民党の圧勝により、民意は憲法9条の改正や脱原発の見直しを求めているようにも見えるが、当選者の数の比ではなく得票率の比で見ると自民党が多いわけではないので、民意は脱原発を求めているという見方もある。しかしそもそも民意は選挙に熱を上げているのではなく、もう少し冷静に歴史認識や世界情勢や経済情勢を見ているのではないだろうか。
 19世紀後半からから20世紀の初めにかけて、いわゆる列強といわれる近代国家は国境を定め国民を創り富国強兵を目ざし、大戦を繰り返した。戦争は国家の総力戦となり、かり出された兵士達だけではなく非戦闘員の多くが犠牲になった。大戦の度に戦後平和のための会議が開かれ、国際連盟や国際連合が作られたが未だ戦争は無くならない。基本的に近代国家を前提としているからであろう。第二次大戦後ヨーロッパでは長年戦ったドイツとフランスが和解し、現在のEUになる道を目ざした。未だ道半ばのようで成功するか失敗するかはわからないが、近代国家の先にあるシステムを目ざす試みではある。
 一方アジアでは、今まさに中国、インドなどの新興国といわれる大国が近代国家の完成を目指して台頭しつつあり、とても近代国家の次の時代を展望できる段階ではない。中国は実際には多民族国家であるにもかかわらず、このところ、さかんに中華民族という言葉を使ってあたかも一つの民族であるかのような国民を創りあげようとしており、国境線を拡大しようとしている。さらに、いうまでもなくまさしく富国強兵政策を邁進している。いずれはアジアでは中国とインドがかつてのヨーロッパのドイツとフランスのように覇を競うようになるかもしれない。それにインドネシアが参戦するのであろうか。日本は彼らにとってその時代のヨーロッパのオランダかスイスのような位置づけになるのか、よくわからない。
 日本は第二次大戦後ドイツとは別の近代国家の次を目ざすような目標を掲げた。憲法9条である。米国に押しつけられたとはいうものの、現在国民の意識に根付いている。とはいえ国民の多数は一方で戦力でないとは到底いえないような自衛隊を容認している。さらに米国の核の傘に入っていることも事実である。現実に大多数の国が近代国家のシステムを基本としており、特に近隣諸国が富国強兵政策を進めているときにそれなりの対応をする必要があるのは否定できない。理想は掲げつつも、民意は現実もわきまえているのである。
 富国強兵を目ざす現在の近代国家としての大国にとって、核兵器が戦力という強兵を代表するものとすれば、原発は資源エネルギーという国富を代表するもののひとつである。より強力な兵器が発明されるまで核兵器を手放さないであろうし、日本が原発を止めようと止めまいと、より強力なエネルギー源ができない限り近隣諸国は原発を作るであろう。日本が原発を止めることで原子力の技術力を失えばこれら近隣諸国の原発の事故に対してこの列島に住む人々の安全を守るための知識も技術無くなってしまうリスクがある。今直ちに止めれば経済への影響も大きい。とはいえ東京電力福島第一原発の事故を経験した日本の多くの人々は、放射能が怖いから原発に頼りたくないという気持ちが強いことも事実である。
 憲法9条は掲げつつ、自衛隊は認め、米国の核の傘も認める。将来は原発ゼロを目ざすと唱えつつ、さしあたりは放射線被ばくのリスクも我慢する。というのが日本的な民意ではないかと推察する。災害救助活動に感謝するから自衛隊を認めるということではなく、放射線でガンの治療ができるから原発を認めるということではない。怖いものだとわかっているけれども戦力も原子力も当面維持せざるを得ないと覚悟しているからであろう。この辺りの民意を把握した上で、開き直るのではなく理想を掲げつつ現実的な対処をし、地球規模での近代国家を越える時代への道を探る努力をすべきである。