押し付けられた憲法とは? ― 2013年04月10日 11:32

 現在の憲法は占領軍に押し付けられたものであるから変えようという議論がある。本当に押し付けられたかどうかに関する議論もあるが、ここでは押し付けられたとしておくことにしよう。
 現憲法を、押しつけを排除した全く新しいものに変える場合に、現憲法の制定は手続き的には明治憲法を改正する手続きをとったのであるから、変える場合も改正という手続きによって、押し付けられたものとは全く異なる新しい憲法を制定するという考えと、押し付けられたものは無効だから廃棄して、新しく作ればよいという考えがある。後者の場合はどうやって発議するのであろうか。少数の実力者がクーデターを起こして憲法を停止するという方法はあるが、乱暴すぎて現実的ではない。しかし、前者の現憲法の改正という手続きでは、国会での3分の2の賛成という要件を満たすのがなかなか難しくて、手っ取り早く新憲法に変えられない。
 そこで少数の実力者グループとしては憲法改正という形をとりつつクーデターに近いものとして、改正の要件を緩和する段階を経ることにする。すなわち国会での憲法改正の要件を3分の2から過半数でよいとすることにする。この時点がクーデター場合の憲法の停止にあたる。次に新憲法を認めさせ目的を達成する。
 新憲法の制定ではなく、現憲法の一部改正を主張するグループにも、改正の動機として押し付けられたものだから自分たちのものに戻そうという意見がみられる。新憲法制定派と共通するのは押し付けられたものは悪いという考え方である。もちろん誰しも押し付けは嬉しくない。
 しかし日本人は古来独自の日本文化を発展させて周囲に押し付けて来たのではなく、周囲の文化を受け入れあるいは押し付けられて日本文化を形成して来たのである。比較的長い縄文文化という独自性のある時代の後、弥生期には繰り返し、周辺から稲作文化を持った人々がやって来て、やがて縄文の人々は同化していった。部族間の争いも起こるようになるが、やがて天皇家の先祖を首領とする部族が日本列島の中央にやって来てそれ以前に勢力を持っていた部族を屈服させ大和朝廷を作る。このときも最大の反抗勢力は最後の戦いをさけ国譲りをしている。
 弥生時代以降奈良時代までは周辺諸国の影響が非常に強い状況下で中国や朝鮮半島の文化を受け入れて来たのである。その後、平安時代と江戸時代のある期間、しばらく鎖国状態が続いたために、日本人のアイデンティティが形成されて、日本文化を持つようになったと考えられる。しかし、開国後、明治以降はまた、欧米列強のまねをして来たのであって、押し付けられたとか自主的だとか行っても、欧米の強い影響下で道を選ばされて来たのである。敗戦後は占領下であったために、しがらみや過去のいきさつに拘らずに選択できたというだけのことであろう。
 したがって、この列島の歴史を考えれば、押し付けられたことを根拠に憲法を変える議論をする意味はない。本質的なことは、どう変えるかの内容の問題である。国会議員は国民を代表するとはいえ少数者であるのだから、クーデターを起こすような気持ちになってはならない。オープンな形で真摯に内容を議論して、国会でなるべく多数の同意を得た後に、国民の判断を仰ぐべきである。