ダッカ「日本人だ、撃たないでくれ」が通じるか? ― 2016年07月05日 17:36

 ダッカの有名なレストランで武装グループによる発砲事件が起こり、イタリア人9名、日本人7名を含む外国人22名が犠牲になった。日本人は全てJICAやJICAに関連する仕事のために滞在していた人達で、バングラデシュの発展のために献身的な努力をしていた人達だという。被害者やその家族、関係者の無念さを思うと、本当に痛ましく残念に思う。
 武装グループのメンバーは、いずれもバングラデシュの裕福な家庭の子弟で、高学歴だという。レストランに入った後、彼らは客をイスラム教徒とそれ以外の者に区別し、バングラデシュ人達は別室で食事も与えられていた。明らかに外国人を狙った襲撃事件である。
 襲撃の時に、「日本人だ、撃たないでくれ」といった人がいるという報道に対して、元外交官が、「日本人なら安全というのは昔話で、ISは安倍首相に対してお前の国民を場所を問わず殺戮すると言っていたではないか」とコメントしたところ、これに対してネット空間で「テロリストの仲間か」などと批判が集中しているという。
 現在のISなどの実情は、私は知らないので上記の議論にコメントすることはできないが、今回の武装グループがイスラム教徒以外の外国人を狙ったことだけは事実である。バングラデシュは親日国であるという。ではなぜ「日本人だ、撃たないでくれ」が通じないのか。
 テレビ等では、日本が先進国では最初にバングラデシュの独立を認めたこととか、多額のODA援助のことが報道されている。特にジャムナ橋の工事で多額の援助をした時には、金は出したが日本のゼネコンが工事したわけではないと、ゼネコンの金儲けのための援助ではないかのように報道されている。しかし実は入札で技術審査の段階で韓国企業に負けただけのことだという。最近は官民挙げて日本企業の受注を目指しているように見える。新興国では政府関係者の汚職などの問題もあるかもしれないが、援助そのものはその国の民生に役立っているはずで、援助する側が憎まれるのは筋違いともいえる。
 しかし、イスラム世界では、援助される者は礼を言わず、援助する側が援助させてもらったことを感謝すべきなのだという。イスラムはその歴史のはじめ戦争ばかりしていたので、その犠牲になって社会的弱者になった者が多く、平等に扱うなら妻を4人までもっても良いというのは、戦争で夫を失った女性達を経済的に救うための、いわば社会保障制度だったという。援助される者が礼を言わなくて良いというのも、援助する方が奢らず、援助される方が卑屈にならない社会にするために、そういうことにしたのかもしれない。
 しかし、そうはいっても援助されるだけで、援助する側になれないものの心は、屈折するのではないだろうか。互酬性社会ではものを贈られた側は贈りかえす心の負担を感じることを前提として社会が成り立っているというが、負担を感じる一方だと誇りが持てず、不満がたまるのではないか。高学歴でも、それを活かす仕事が少ないといった悪条件が重なると、その不満が、援助する側にぶつけられるという理不尽なことも起こるのかもしれないと思った。