トランプ批判の筋違い?2018年06月13日 15:43

 6月12日の米朝会談の結果に対する、多くのトランプ批判がなされている。しかし、それらは批判している人達の政治的信条に基づく批判であって、トランプ大統領の信条に基づく行動として会談がうまくいったかどうかを論じているものではないように見える。
 トランプ大統領は大統領選挙前から、アメリカ・ファーストを唱え、経済的に貿易収支の赤字に不満を述べ、軍事的にもアメリカが世界の警察として軍事費を出費することに反対してきた。可能な限り海外に駐留する軍隊を撤退させたいのが本音である。しかし単に金がないからすごすご引き上げるという無様な様は見せたくない。平和を確立したから撤兵するという形で、本音とする軍事費を減らしたい。
 この意味でトランプ大統領は今回の会談は成功だと思っているであろう。金正恩もトランプを譲歩させたと喜んでいる(署名が終わったときの金正恩は、よくぞここまで来たと、感極まっているようにも見えた)と思われる。恩を着せられた金正恩は事態をご破算にしないために(トランプが心変わりしないうちに)アメリカに到達するミサイルは破棄しても良いと思うであろう。アメリカ・ファーストのトランプにとっては軍事的にはそれだけで十分なのである。
 多くの政治家や評論家がこれまでのパラダイムのなかで批判してみても、意味が無い。トランプの行動はパラダイムを変えようとしているのである。その変化のなかで、事態にどう対応するかを考えるのが政治家や評論家の役目なのではないか?
 朝鮮半島は中国の影響下に入り、日本は中国との関係では、かろうじて独立を保ちつつ対峙するという、古代の東アジアの地政学的関係と同じようになる可能性がある。また、日本とアメリカの関係は、かつての琉球王国と日本との関係と似た形になるのかもしれない。

規範守らぬ西野監督?2018年06月30日 17:31

 朝日新聞の忠鉢信一氏はサッカーW杯でポーランドと日本の戦いの後半のパス回しについて、「規範」守らぬ西野監督と批判している。
 忠鉢氏は「規範」として、「JFAサッカー行動規範」の「1 最善の努力 どんな状況でも、勝利のため、またひとつのゴールのために、最後まで全力を尽くしてプレーする」と、国際サッカー連盟(FIFA)「フットボール行動規範」の「1 勝つためにプレーする 勝利はあらゆる試合のプレーする目的です。負けを目指してはいけません。もしも勝つためにプレーしないのならば、あなたは相手をだまし、見ている人を欺き、そして自分自身にうそをついています。強い相手にあきらめず、弱い相手に手加減してはなりません。全力を出さないことは、相手への侮辱です。試合終了の笛が鳴るまで、勝つためにプレーしなさい」を挙げている。
 これらの「規範」は主として選手に対する行動規範のように見えるが、選手は自ら戦おうとしなかったわけではなく、監督の指示にしたがったのであろうから、これを責めるのは酷であろう。責めは監督にある。
 もちろん「規範」は監督にも求められるであろう。では監督は「規範」を守らなかったといえるか。「規範」は個々の試合の個人の規範を説いているようであるが、W杯のような場合、監督にとっての「勝つためのプレー」とは、少しでも上に進み、できれば優勝するということであろう。西野監督はそのための全力を尽くしたのではないか。勝負師として見事という見方もあるが、一か八かに賭けるというような博打をしたのではないと思う。現に戦っている選手達の状態を見極め、同時進行中のコロンビアとセネガルの試合ぶりの情報も考慮して、上に進むという監督の任務として最善の選択を行ったのであろう。賞金が多いことを考慮するサッカーくじなどの博打と同列に扱うのはおかしい。
 そもそも、サッカーを見ていていつも感じるのは、サッカーは格闘技だということである。したがって「規範」が述べるように全力を尽くせばラフプレーになりがちで、それがサッカーなのだろうと格闘技が嫌いな自分は感じる。あまり酷ければ、ペナルティーや退場が命ぜられるので十分ではないか。それなのに、これにフェアプレーという名の別の規準をとりいれてリーグ戦の順位を決めることに矛盾がある。得失点差が同じならくじ引きにしておけばよかったのだ。ルールに従った監督や選手をフェアでないようにいうのはおかしい。
 忠鉢氏は批判する相手を間違えている。