皇統の考え方2019年07月10日 17:56

 アフリカから出たホモ・サピエンスが日本列島に来たのは数万年前とされる石器時代後期である(第1期移住)。その頃は寒くて北海道は大陸と陸続きで、朝鮮半島と日本列島の間の海も狭く渡るのに困難はなかった。南からは島伝いにやって来たと考えられる。最近丸木舟で当時は中国大陸と陸続きであった台湾から与那国島へ渡るという国立科学博物館の実験が成功した。列島の沖は太平洋でこれより先はないから、列島に来た人達はいわば吹きだまりに集まったようなもので、逃げようもなく、列島はいろいろな方面からいろいろな時期に来た人達の「るつぼ」となるように運命づけられていた。やがて1万4千年前、温暖期を迎えると、海面が上昇して大陸からの移住は困難になる。列島の人達は新石器時代を迎え、縄文人となる。
 ユーラシア大陸では1万2千年前に一時的な寒の戻りがあり、野生の穀物が採れなくなった人達が農耕を始め、いわゆる4大文明が興る。ただし、日本列島はその後も縄文時代が続く。中国大陸では9000年前に黄河流域で畑作(アワ)が、8000年前に長江流域で水稲耕作が始まる。しかし、4000年前にやや冷涼化した時期があり、長江の水稲耕作は衰え、黄河文明が優勢となって、夏王朝ができる。この文明化から逃れようとした人達が海のルートを開拓し、日本列島へ移住したといわれる。縄文後期の移住で、後の列島各地の海民の先祖ともいわれる(第2期移住)。
 水稲耕作は5千年前には長江流域から山東半島に伝わり、朝鮮半島南部には3100年前(紀元前1100年)に伝わったとされる。この頃商(殷)王朝ができる。殷は黄河下流の山東省を基盤とするが、やがて西方から周が興り、3050年前に殷が滅ぶ。殷の遺民の一部は朝鮮半島に逃れる。この頃(紀元前950年頃)水稲耕作が、朝鮮半島南部あるいは前に開拓された海のルートで山東半島から、玄界灘沿岸に伝播してきたと考えられている。その後数百年かけて列島全体に水稲耕作が広がっていく。水稲耕作を持ち込んだ人達は(第3期移住)縄文人とは顔つきが異なる人達で、やがて縄文人とも交流して、弥生人(倭人)となる。この時、縄文人と新たな移住者の間で戦争はなかったようである。
 倭人となってからは多くの国ができて互いに戦争するようになるが、大乱後に共立された卑弥呼の例や、神話の大国主神の国譲りのように、矛盾を抱えながらも共存する形が多い。また辺境では平安時代初期まで倭人化してない人達との戦いもあるが、これも徹底的ではない。
 殷には神話があったが、周には神話はなく、革命思想で王朝の交代を正当化した。以後中国では革命により王朝が交代することになる。
 日本列島では倭人の国が分かれていた頃の最大の国は北九州の伊都国であるが、卑弥呼が共立された頃から纏向地域の前方後円墳を造る政権が樹立される。彼等は出雲系であった可能性があるが、4世紀になると天孫系王朝に交代する。崇神天皇の頃である。出雲系から天孫系への国譲りはこの時であったと考えられる。崇神王朝は仲哀天皇の頃までで、4世紀末の応神天皇の頃からいわゆる倭の五王の時代は応神王朝というべき王朝になる。応神天皇の母は仲哀天皇の皇后である神功皇后であるが、父が仲哀天皇であるかどうかは疑問とされる。さらに倭の五王の最後である雄略天皇の男系血統が絶える6世紀には、応神天皇5世の孫と称して継体天皇が豪族によって擁立される。応神王朝から継体王朝への交代である。
 神武天皇を実在の天皇とするのは論外であるが、実在の天皇の最初といわれる崇神天皇から見ても、倭国にはその前に出雲系王朝があり、その後も応神王朝、継体王朝と王朝が交代している。その後も蘇我氏の時代や、天智天皇、天武天皇の時代には王朝交代といっても良いような事件が起こっている。日本書紀、古事記は天武天皇が編纂を命じたとされるが、この史書においては王朝の交代は見られず、神話時代から始まって天照大神の子孫が神武以来の天皇になったことになっている。
 おそらく実質的な王朝の交代はあったとしても縄文時代以来、この列島では支配者の交代にあたって革命的な手法を採らず、矛盾を抱えたまま共存することが続いた。それはおそらく大陸と異なり、負けた側が外に逃げ出すことが地理的に困難であったことと、中国や朝鮮半島の国際情勢のために、国内だけで革命に至るまで戦争をしていることが許されなかったためであろう。やがて天皇を政権の担当者から外す工夫をすることによって、さらに革命の起こらない国とした。この状況は明治維新までも続く。太平洋戦争の敗北は天皇制にとって最大の危機であったが、危うく難を逃れた。
 万世一系の男系男子という伝統は天武時代に創られたフィクションである。とすれば、現在の我々はフィクションにこだわることなく、女性天皇や女系天皇も認めるか、あくまで男系にこだわって、男系女性天皇にする以外に方法がなくなったときにはその夫または後継者を遠い先祖が天皇であったというフィクションを作るほかないであろう。

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