眞鍋淑郎氏のノーベル賞に思う「地球社会の調和ある共存」2021年10月10日 20:54

かつて文部省が各大学にそれぞれの理念を示すように要請したことがある。そんなものは今更いわれなくても伝統として存在しているという気持ちもあったが、その定められた理念に合う行動を取っているかどうかを調べてその大学の評価を行うと文部省が言うものだから、結局大学側は要請に応えて、それぞれ理念(憲章)を明文化して掲げることになった。今どこの大学のホームページを見ても理念(憲章)が掲げてある。
京都大学でも文部省に言われてやるのではないという気分もありながら、平成12年10月に部局長会議の下に設置された「京都大学の基本理念検討ワーキンググループ」が検討を重ねて成案を作成し,平成13年11月20日に長尾総長に報告書を提出し,部局長会議での審議を経て,平成13年12月4日開催の評議会に附議し承認された。
この基本理念の前文に書いてある「地球社会の調和ある共存に貢献」という文言がこの基本理念のキーワードであると強く感じた。このワーキンググループの議論については座長であった当時の赤岡副学長の説明(この説明は当初は大学のホームページにも掲載されていたが今はない。京大広報No.564 2002.1に掲載されている)に詳しく書かれており、私もその感想に気持ちを同じくするものである。

以下に京都大学の基本理念の前文と赤岡副学長のその部分の説明を掲げる。
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京都大学の基本理念 (前文)
京都大学は,創立以来築いてきた自由の学風を継承し,発展させつつ,多元的な課題の解決に挑戦し,地球社会の調和ある共存に貢献するため,自由と調和を基礎に,ここに基本理念を定める。(以下本文略)

京都大学の基本理念について (部分)
前副学長 赤岡  功
Ⅱ前文について
(自由と調和)
京都大学が学問の自由を擁護するために闘ってきた誇るべき伝統をもつこと,また,自由な研究により卓越した研究を行ってきたことはよく知られている。しかし,自由という名の下に,京都大学で様々な問題が起こっていることを指摘する人は多い。とはいえ,「自由の学風」は,京都大学の「輝く個性」として今後も継承・発展させていくべきであり,基本理念においてもこの点を基調にすることに異論はなかった。そこで,自由といってもなんらかの限定が必要ではないかとの議論となり,21世紀にふさわしいものとして人類共同体との関係を視野において自由を捉えるべきであるという意見もあり,責任ある自由などが案として考えられていた。ところで,長尾総長の「京都大学の目指すもの」と題する文章では,21世紀においては「『進歩』を追及する従来型の概念から方向転換し,『調和ある共存』という概念によって学術を進めていくことが肝要である。」とされている。この「調和ある共存」は,上の「21世紀にふさわしいものとして人類共同体との関係を視野において自由を捉えるべきであるとか,責任ある自由など」を含み,かつ新しい時代の京都大学を方向づけるものとしていいのではないかと考えられ,委員会に提案がなされた。
原案としては「人類社会の調和ある発展のため,」や「人類社会の持続的発展に貢献するため,自由と調和を基本として,」という表記があげられたが,「調和ある共存」,「自由と調和」は基本理念を支える概念として賛成をみた。
(地球社会)
ところが,「人類社会」という言葉は,これを使う委員も少なくはなかったが,強い反対があった。地球上には,人類だけではなく,動植物が生きており,人類だけを考えるのはいうなれば人間のおごりであるとされるのである。さらに,資源の枯渇,土壌汚染や地球温暖化,森林の減少,河川の氾濫などを考えれば,無生物までが視野に登場することになる。かくて,「人類社会」は「地球社会」とするのがよいということになった。また,これに関わって,「持続的発展に貢献する」にも反対があった。持続的発展のためにでは,開発に遅れてスタートした社会には問題が残るとされ,やはり調和ある共存がよいとされた。その結果,「自由の学風を継承し,発展させつつ,多元的な課題の解決に挑戦し,地球社会の調和ある共存に貢献するため」という表現に落ち着いたが,これは本当にいい文章になったと考えている。