戦後70年ということ2015年04月04日 15:26

 2015年4月3日の朝日新聞で、佐伯啓思氏が「戦後70年」に関して、1952年4月28日にサンフランシスコ講和会議が発効し、この時をもって連合国との戦争状態は終了するとされており、戦後はこの時から始まるので今年は「戦後63年」であると述べている。その上で1945年8月15日は敗戦の日で、その日から、あるいは正確には降伏文書に署名した9月2日から主権を剥奪された占領下にあった。主権が奪われた状態で憲法を制定できるのであろうか、という原則論を展開している。
 なるほどそういう議論はもっともであると思う。しかし何か違和感がある。白井聡氏の「永続敗戦論」を読んだときも。全くその通りで自分たちの戦中戦後を経験した世代にとって新しい受け止め方とは思わなかったが、敗戦直後の雰囲気の受け止め方に少しだけ違和感を感じた。
 この違和感がどうして起こるのかを考えてみるに、どうも戦中や敗戦直後のことは自分たちにとっては生きてきた「現在」であるのに対して、若い世代(佐伯氏はもう若くはないが戦後生まれで物心ついた頃には日本は主権を回復していたであろう)にとって敗戦直後のことは「過去の歴史」なのかも知れないということである。
 日本で敗戦という言葉の代わりに終戦という言葉を使い、民主的日本再生の「物語」を作ったということは事実であるが、占領軍が闊歩していた当時の日本人が敗戦を認めていなかったなどということはありえない。しかし、一方で日本が負けたにもかかわらず天皇は連合国側からみた戦犯にもならず、国内的にも責任を取らず退位もしなかったという事実もある。戦中の大本営発表を含めて、戦中戦後の「物語」がまさしくフィクションであることを当時の日本人は言わずもがなのこととして分かっていた。
 経験していても昔のことを上手に思い出すことは難しい。まして経験していない世代にとっては文献学的に過去のことを想像するしかない。歴史認識というものは所詮そういうものであろうから、一人ひとり異なっていても当然であろう。このところ言わずもがなのこととして戦争のことを話さずにいた老人たちが、このままでは自分たちの経験が活かされないと重い口を開き始めているが、うまく伝わるのであろうか。
 1952年以後、主権を回復したということも実は怪しいのではないであろうか。少なくとも防衛と原子力に関しては独立国とはいえないことを当事者と外務省はよく分かっていると感じる。棺桶に片足突っ込んだ人間が言っても仕方ないことと思いつつも、政治家たちが戦後70年でまた新しい「物語」を、今度はフィクションだと思いもしないで、作るのではないかと気にかかる。

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