「イスラム国」はイスラムの事象としていてわかるのか? ― 2015年01月22日 16:32
「イスラム国」が日本人2名を拘束して身代金を要求していることが明らかになって、イスラム世界に詳しい識者によってさまざまに解説がなされている。結果がどうなるにせよ、イスラム世界を知ることは重要であるし、人質解放に向けてあらゆる努力がなされるべきであろう。
日本人がイスラム世界のことをあまりに知らなさすぎることを認識させられたのは今回が初めてではない。石油危機のときにも中東の石油国との関係が重要であるといわれたし、とくにいわゆる湾岸戦争・イラク戦争のときにはイスラム世界の理解なしに日本人が関わることの問題が指摘された。
かつての日本人にとってはイスラムにコーランがあることは知っていても内容は知らず、アラビアンナイトの世界であろうというぐらいの認識で、いわゆる中近東地域は政治的には戦後イスラエルとパレスチナが戦争している地域、経済的には石油を購入している地域であるといった程度の理解であり、イスラム世界を知る必要性はあまり感じてこなかった。上述した事件との関わりなどを通じてイスラムを知るべきだという議論が起こり、イスラム世界に詳しい人々の解説を聞くようになった。しかし、イスラム世界は日本人にとっては別世界であり、歴史的にも地域的にも複雑なので、すっきりした理解は困難であった。事件が起こったときにその場限りの解説を聞いても、暫くすればまた理解不能なことが起こることが繰り返された。識者からは日本人はイスラム世界を本当には理解していないといわれ続けてきた。
しかし、イスラムを理解した上で「イスラム国」を理解しようとするのが、間違っているとはいわないが、その道筋だけが理解の方法であろうか。むしろ日本人としては日本や東アジアの、我々がよく知っている歴史との比較で見ると理解しやすいのではなかろうか。
イスラム教が発明されて以来、アフリカの地中海沿岸から中央アジアにかけてイスラム世界が広がり、そこに多くのイスラム教の国の興亡の歴史があるが、それは中国でいえば周が興った後に分裂し、春秋戦国の時代に多くの国々の興亡の歴史が続いたようなものであろう。あるいは日本の律令国家が弱体化し、鎌倉幕府時代を経て戦国時代に多くの領主主権の興亡史が続いたようなものであるともみなせる。ヨーロッパでも中世からルネサンス期にかけては各地の領主主権が競い合った時代であった。共通しているのは、これらの国は現代のいわゆる近代国家とは異なるということである。
近代国家は国境を設定し、国民を創成し、富国強兵を国是とする。しかしこれらの国々は有力な武装集団が自らの支配地域を拡大して権力を樹立する動機で行動しており、支配した人民を奴隷と見なすことはあっても国民とは見なさない。わが国でも支配された側が被差別部落民となったとする説もある。国の境も実効支配に意味があって流動的である。力があれば拡大し弱体化すれば縮小して支配地を維持するだけのことである。国が富むよりは支配者が富むのが先である。
イスラム世界では最近までそのような世界であったから、現在近代国家のような姿を整えている国も先代の時代に有力であった部族長が武力で支配地を広げ国王や大統領になっているだけのことである。従って国の中に現在でもある程度の力を持った部族長たちが残っており、あるいはしばしばクーデターで支配者が交代するのは、そのような世界観の時代が続いているからである。「イスラム国」もまた、すこし歴史に遅れて来た、そのような武装勢力である。成功すれば近隣の国と同様な国を作るかも知れないし、近隣の国をも支配して拡大するかも知れない。欧米中心の戦後世界秩序を守れとか、力で国境をかえるなといった理屈は彼らには通用しない。かつてはイスラム世界以外の地域でも存在した世界と同じようなことが現在のイスラム世界では起こっていることなのだと分かれば「イスラム国」も理解できるのではないか。
日本人がイスラム世界のことをあまりに知らなさすぎることを認識させられたのは今回が初めてではない。石油危機のときにも中東の石油国との関係が重要であるといわれたし、とくにいわゆる湾岸戦争・イラク戦争のときにはイスラム世界の理解なしに日本人が関わることの問題が指摘された。
かつての日本人にとってはイスラムにコーランがあることは知っていても内容は知らず、アラビアンナイトの世界であろうというぐらいの認識で、いわゆる中近東地域は政治的には戦後イスラエルとパレスチナが戦争している地域、経済的には石油を購入している地域であるといった程度の理解であり、イスラム世界を知る必要性はあまり感じてこなかった。上述した事件との関わりなどを通じてイスラムを知るべきだという議論が起こり、イスラム世界に詳しい人々の解説を聞くようになった。しかし、イスラム世界は日本人にとっては別世界であり、歴史的にも地域的にも複雑なので、すっきりした理解は困難であった。事件が起こったときにその場限りの解説を聞いても、暫くすればまた理解不能なことが起こることが繰り返された。識者からは日本人はイスラム世界を本当には理解していないといわれ続けてきた。
しかし、イスラムを理解した上で「イスラム国」を理解しようとするのが、間違っているとはいわないが、その道筋だけが理解の方法であろうか。むしろ日本人としては日本や東アジアの、我々がよく知っている歴史との比較で見ると理解しやすいのではなかろうか。
イスラム教が発明されて以来、アフリカの地中海沿岸から中央アジアにかけてイスラム世界が広がり、そこに多くのイスラム教の国の興亡の歴史があるが、それは中国でいえば周が興った後に分裂し、春秋戦国の時代に多くの国々の興亡の歴史が続いたようなものであろう。あるいは日本の律令国家が弱体化し、鎌倉幕府時代を経て戦国時代に多くの領主主権の興亡史が続いたようなものであるともみなせる。ヨーロッパでも中世からルネサンス期にかけては各地の領主主権が競い合った時代であった。共通しているのは、これらの国は現代のいわゆる近代国家とは異なるということである。
近代国家は国境を設定し、国民を創成し、富国強兵を国是とする。しかしこれらの国々は有力な武装集団が自らの支配地域を拡大して権力を樹立する動機で行動しており、支配した人民を奴隷と見なすことはあっても国民とは見なさない。わが国でも支配された側が被差別部落民となったとする説もある。国の境も実効支配に意味があって流動的である。力があれば拡大し弱体化すれば縮小して支配地を維持するだけのことである。国が富むよりは支配者が富むのが先である。
イスラム世界では最近までそのような世界であったから、現在近代国家のような姿を整えている国も先代の時代に有力であった部族長が武力で支配地を広げ国王や大統領になっているだけのことである。従って国の中に現在でもある程度の力を持った部族長たちが残っており、あるいはしばしばクーデターで支配者が交代するのは、そのような世界観の時代が続いているからである。「イスラム国」もまた、すこし歴史に遅れて来た、そのような武装勢力である。成功すれば近隣の国と同様な国を作るかも知れないし、近隣の国をも支配して拡大するかも知れない。欧米中心の戦後世界秩序を守れとか、力で国境をかえるなといった理屈は彼らには通用しない。かつてはイスラム世界以外の地域でも存在した世界と同じようなことが現在のイスラム世界では起こっていることなのだと分かれば「イスラム国」も理解できるのではないか。
大化の改新と明治維新 ― 2014年11月03日 10:21
いわゆる大化の改新は、乙巳の変というクーデターだけがまずあり、すぐには大化時代にはまだ改新といえるほどの改革はなく、律令国家をめざす改革はその後の天武天皇時代にいたるまで長く続いてなされたという理解に、最近ではなっているようである。一方、明治維新も、戊辰戦争というクーデターの時点だけをいうのではなく、その後の数十年にわたる近代化の改革をいうべきであるように思う。日本の歴史の中で、「改新」と「維新」は、いずれも外国の脅威にさらされ、急いで国家体制を根本から変えて、新しい国際情勢に対応しようとした行動であったと考えられる。
「改新」の少し前から、中国大陸に強大な隋・唐帝国ができ、それに対応して朝鮮半島情勢も変化する中で、倭国は百済と連携して唐にあらがおうとするが白村江で大敗し、百済は滅亡する。国家存亡の危機を感じた大和朝廷側は各地に城を築き、都を大津に移すなどして防備を固めるとともに、中央集権的な国家の樹立を図るため、唐にならった律令国家を作ろうとする。天武天皇の時代が「改新」活動の最盛期と考えられる。全土に高規格の幅の広いいわば高速道路を建設し、律令の法制度を整え、自らの王朝を正当化する国史を編纂する。危機意識を伴った「改新」の勢いが最終的に収まるのは、平安時代に唐の勢いが衰え遣唐使が廃止される時である。
「維新」は圧倒的な軍事力を見せつける西洋列強の脅威にさらされた日本が、やはり国家存亡の危機を感じて、急激に列強に習った近代化を進めたプロセスである。国家神道を創成し、国民教育を施し、近代技術を導入して、中央集権的な富国強兵策を進めることになる。これは昭和の時代まで続くが、遅れてきた少年の暴走は列強によってたたかれ、太平洋戦争に敗れる。しかし、日本は再び列強に追いつくために官民一体で中央集権的経済成長路線を続け、復興を成し遂げ、経済大国の仲間入りをする。平成に入ってようやく日本の人々は「維新」を卒業した状態になってきているように見える。ただし、一部の人々は今も国家存亡の危機を演出したがっている。
「改新」や「維新」は日本の歴史にとって異常な時期であった。冷静な歴史認識が必要である。
「改新」の少し前から、中国大陸に強大な隋・唐帝国ができ、それに対応して朝鮮半島情勢も変化する中で、倭国は百済と連携して唐にあらがおうとするが白村江で大敗し、百済は滅亡する。国家存亡の危機を感じた大和朝廷側は各地に城を築き、都を大津に移すなどして防備を固めるとともに、中央集権的な国家の樹立を図るため、唐にならった律令国家を作ろうとする。天武天皇の時代が「改新」活動の最盛期と考えられる。全土に高規格の幅の広いいわば高速道路を建設し、律令の法制度を整え、自らの王朝を正当化する国史を編纂する。危機意識を伴った「改新」の勢いが最終的に収まるのは、平安時代に唐の勢いが衰え遣唐使が廃止される時である。
「維新」は圧倒的な軍事力を見せつける西洋列強の脅威にさらされた日本が、やはり国家存亡の危機を感じて、急激に列強に習った近代化を進めたプロセスである。国家神道を創成し、国民教育を施し、近代技術を導入して、中央集権的な富国強兵策を進めることになる。これは昭和の時代まで続くが、遅れてきた少年の暴走は列強によってたたかれ、太平洋戦争に敗れる。しかし、日本は再び列強に追いつくために官民一体で中央集権的経済成長路線を続け、復興を成し遂げ、経済大国の仲間入りをする。平成に入ってようやく日本の人々は「維新」を卒業した状態になってきているように見える。ただし、一部の人々は今も国家存亡の危機を演出したがっている。
「改新」や「維新」は日本の歴史にとって異常な時期であった。冷静な歴史認識が必要である。
今後の原子力を考える ― 2014年09月02日 09:29
(いま考えることの重要性)
核反応に伴って放出されるエネルギー、いわゆる原子力は、これまで主として兵器および発電に使われてきている。北朝鮮などにおける核兵器開発の動きと東京電力福島第一原子力発電所の事故により、今後の原子力政策がどうあるべきかが、軍事利用の面でもいわゆる平和利用の面でも、これまでになく大きな課題となって来ている。
核兵器に関しては、太平洋戦争末期の広島と長崎における原爆投下による被爆と、ビキニ水爆実験による漁船員の被災を経験した日本人の間では核兵器をなくしたいという気持ちが強い。しかし世界にはいわゆる核大国の他にも核兵器を保有する国もしくは保有したい国々がある。
一方、発電に関しては、日本も平和利用と称して推進してきたが、東京電力福島第一原子力発電所の事故で甚大な被害が生じたことで、今後のあり方が問われている。しかし世界的には特に新興国において今後も原発を建設したいという国もあり、これに応えて日本でも国内の原発の再稼働だけではなく、原発の輸出を図ろうとしている。
今こそ、無定見なその場かぎり対応を重ねるのではなく、長期的な視点でこれからの原子力がどうあるべきかを真摯に考える時である。
(原子力の特徴)
原子力が利用される以前から人類が利用している化学反応に伴うエネルギーと比較してみると、原子力は極めて少量の物質で莫大なエネルギーを発生するという特徴と、反応の際に放射線を発生し、さらに放射線を放出する能力(放射能)がある物質が生じるという特徴がある。
第一の特徴である少量の物質で大量のエネルギーを作ることができるということは、兵器に利用する場合、通常の火薬による爆弾よりはるかに大量の殺戮が可能な爆弾を作ることができることを意味する。大量破壊兵器といわれる所以である。発電の場合も少量の燃料を備蓄することで長期間の発電が可能になるので、日本のような石油がない国では準国産エネルギーと考えられ、エネルギー自給率が高まるともいわれる。
第二の特徴である放射線に関しては、微量の自然放射線による被曝は人類が原子力の利用を始める以前からあったことであるが、大量の放射線被曝が即死をもたらし、少量であっても発がんのリスクが高くなる問題がある。このことを、おびただしい実例で身を以て示したのは広島・長崎の犠牲者たちである。核兵器が使用された時の放射線影響と対策はそれ以前の兵器にはない異質のものである。また原発からの放射線遮蔽と放射性物質の閉じ込めも他の発電所にない技術を必要とする。
(利便性と危険性ならびに制御可能性)
アルフレッド・ノーベルは、取扱が危険なニトログリセリンの改良研究を行い、途中で事故を起こしつつも、より安全な爆発物であるダイナマイトを発明して巨万の富を得ることに成功した。その後、死の商人と言われることを気にしたのか、遺産をノーベル賞の基金とした。しかしダイナマイトは戦争で使われるだけでなく、各種の工事にも使われる。工事現場でも事故が起こるリスクはある。ダイナマイトは典型的な例であるが、全ての発明品には同様な利便性と危険性がある。原子力はその二面性が極端に大きなものである。
福島の事故を受けて、原子力は人間にはコントロールできないものであり、神ならぬ人類が扱うべきものではないとの主張がなされ、さらには科学一般についても否定するような傾向が見られた。しかし人類は道具を使うことで他の生き物とは異なる文明を発展させたわけで、科学や技術を否定することと人類の存在とは相容れない。そこで人類の存在が悪であるという考え方も出てくるかも知れないが、神を持ち出しては、議論が宗教論争のようなもの、あるいは魔女狩りのようなものになる。ここではそのような形而上学的議論より具体的な場合について考えてみる。
高速道路を走っている自動車の場合、運転手はハンドルやブレーキで方向や速度を制御できるが、ひとたびガードレールを飛び出して谷底に落ち始めるとニュートンの法則に従い、重力によって放物線を描いて落下するだけで、運転手がハンドルやブレーキで落下中の軌道を制御することはできない。そういう意味で人間は自然をコントロールできない。
原子炉の場合も、一個の中性子がウランに衝突するとき、必ず核分裂反応が起こるわけではなく、起こる確率(いわゆる反応の断面積)が決まっていて、その確率を人間が変えることはできない。ここでも人間は自然をコントロールできない。しかし、原子炉の中にある中性子の数は制御棒で制御できるので、原子炉内で起こる核分裂の数を制御することはできる。つまり制御棒が正常に動作する限り、原子炉の出力を制御することや運転を停止することはできるのである。自動車の場合も原子炉の場合も人間がコントロールできるところとできないところがある。
自動車の場合は、自動車事故の死者は非常に多いにも関わらず、運転手は事故のリスクを承知の上で運転しており、また自家用車の場合には事故の影響が及ぶ範囲も限られていると思われているから、反自動車運動は起こらない。しかし、原発は事故が起これば広範囲に影響が及び、放射線という日常的には実感できないリスクが関わるので忌避したくなる。この心情に加えて、世界の最新の原子炉に比べて安全性に劣る原子炉がいまだに使われており、電力会社のトップは腐敗していて信用ができないとあっては、反原発運動が起こるのは当然である。
(原則と現実)
核分裂反応は自然科学現象であり、その発見や知識をなかったことにはできないし、それを理解しておくことは、この宇宙で、地球で人類が生存するために有益である。問題はそれを応用する技術として、原爆や原発を発明した時に、それを実際に使うかどうかの判断であった。しかし、原子力は政治的理由によって早すぎる使用がなされた。
原爆は、本来ドイツに対して使用することを目指して開発された。しかし、開発完了時に既にドイツが降伏していたため、効果を試したい米軍が日本の降伏前に急いで広島・長崎でそれぞれウラン型・プルトニウム型を投下した。
原発の場合には、発電炉として最適のものを開発してから実用化されたのではなく、発電でソ連に先を越された米国が急いで潜水艦用の原子炉を改造して発電用軽水炉を製作し、軽水炉が主流になったという現実がある。
日本では最初の原子力委員会で湯川秀樹は基礎研究を行った後に実用化を目指すべきとしたが、委員長の正力松太郎は早期に外国製の商業炉を輸入する路線を主張した。湯川は、この最初の委員会直後に、湯川の委員就任を支持した周辺に対して、君たちが言っていたのと話が違うから自分は委員を辞めると言いだし、森一久らがなだめたというが、結局1年後に体調不良を理由に委員を辞任する。このままでは湯川がつぶれるからと心配した京都の支援者達がやめさせたという説もある。
人類が数十年にわたって核兵器を保有し原発を使用してきた今となっては、無かった状態には戻せない。しかし、この状況下でもなお、私は原子力の利用に関して、原則的には次の3点が基本であると考える。
1.大量破壊兵器である核兵器は廃絶すべきである。
2.事故のリスクが大きい現在の原発は廃止すべきである。
3.安全原子力システムと使用済燃料処分技術の基礎研究を行うべきである。
とはいえ、この原則を直ちに実行実現することは容易ではない現実がある。その根本的な原因は、人類史の現在の発展段階にある。以下に上記3点のそれぞれについてコメントする。
(核兵器の廃絶)
ヨーロッパに始まり、その後は世界を舞台とした、近代国家による幾度かの大規模な戦争、特に非戦闘員を巻き込む世界大戦は、産業化された総力戦となり、甚大な被害を引き起こした。その反省から非人道的な兵器の使用を禁止する国際法や、国際連盟や国際連合といった平和のための組織作りがなされた。第二次大戦後、ヨーロッパでは永年の宿敵であったドイツとフランスが和解し、ヨーロッパ連合(EU)へと進化している。
しかし、世界的にみれば、各国は依然として近代国家の枠組みで動いている。近代国家は、国境を定め、国民を定義する。その国是としては、基本的に富国強兵を原則としている。富国強兵は、強い国と弱い国、富める国と貧しい国という格差がないと原理的に成り立たない概念である。
兵器に関しては、生物化学兵器は非人道的であるとして禁止したものの、最大の大量破壊兵器である核兵器については、これを持つ大国は保有し続け、持たない国が持つ国になることを妨げるという状態が生じている。このように現在の核不拡散条約(NPT)が不平等なのは、近代国家の原理が働いているからである。したがって、近代国家体制が続く限り、もし核兵器がなくなる時があるとすれば、それは核兵器以上に強力な大量破壊兵器が発明された時である。
湯川秀樹はこの現実を顧みて、人類は近代国家体制の段階から次の段階に進むべきだと考えたのであろう、世界連邦を目指す運動を始めた。実際、人類社会の長い歴史を考えると、ホモサピエンスがアフリカから出て世界中に広がって行った数万年の歴史と比べても、近代国家の時代はたかだか200年程度のものであり、ずっと昔から続いて来たものではない。これが人類の発明した最終的な優れた仕組みともいえないから、やがて次の段階、湯川にとっては世界連邦、に移行するであろうと考えたのも無理はない。
しかし、湯川の提案はおそらく100年早かった。世界連邦を作ることは当時としては非現実的な夢物語であり、今もなお、そうであろう。人、もの、金(マネー)が国境を簡単に越えてグローバルに動き回る時代になり、先進地域であるヨーロッパで試みられているEUは人類史の次の段階を目指すものであるかもしれないが、未だ完全に成功しているとはいえず、試行錯誤段階である。まして他の、特に中国などのいわゆる新興国といわれる国々は近代国家としての大国を目指して、まさしく富国強兵路線を突き進んでいる。アメリカもロシアも卒業できていない。日本は悲惨な敗戦を経験して、二度と戦争をしないという決心をしたが、世界の現実と合わず悩んでいる。
大坂夏の陣で、徳川方が行った町民に対する殺人、強姦、略奪、暴行、放火などは凄まじく、敵の将兵の首を取ってくれば褒美を出すと言ったために町民の首を取って敵の将兵の首と偽る、いわゆるニセ首が横行した。初めて大規模な城下町を戦場とし、非戦闘員を巻き込んだ戦争の酷さに恐懼した武士達は、家康に信服していたわけではないが、もはや戦争はやめようと考え、その効果は200年間続いた。ヨーロッパでは第一次大戦で初めて本格的な非戦闘員を巻き込む悲惨な戦争を経験したが、戦後処理を誤ったために30年足らずで第二次大戦が起こった。
日本における太平洋戦争の悲惨な経験の効果はいつまで続くであろうか。やがて戦争を知る世代がいなくなった時に、日本は世界の現状に合わせてもう一度戦争を経験しなければならないのであろうか。戦争経験者には現在の日本の政治と原子力の状況を懸念している人が多い。しかし絶望すべきではない。
理想がすぐには実現しそうにない現状でできることは、いずれ多くの国が、近代国家の行き詰まり、すなわち全ての国が平和裡に富国強兵的近代国家にはなり得ないという原理的矛盾、を認識するであろうと希望を持って、それまでは理想を掲げつつも現実的に一歩ずつ前進することであろう。具体的には、不完全な組織であっても現在ある国連やIAEAなどの国際機関をあるべき方向に持っていく努力をし、国際紛争を関係国による戦争によって解決するのではなく、国連の警察力を活用して解決するという、既に原則的には合意されている仕組みの実現に近づける努力をすることがまず求められる。
核兵器に関しては、少しでも大国の核兵器が縮減されるような交渉を進め、世界平和と核不拡散のシステムの整備に合わせて、段階的に全世界の核兵器の廃絶へと進めるしかない。このためには、まず不平等なNPTをより平等なものにすることによって、核廃絶に対する核兵器を持たない国の理解を得る努力が必要である。
この際に、日本は米国の核の傘のもとにいることは明らかなので、特に核兵器保有量が多いアメリカとロシアに核兵器廃絶を求める姿勢を示さない限り、日本が核不拡散の訴えをしても、核兵器を持たない国に理解されることはないであろう。
(原発の廃止)
もともと、原子炉の実用化は核兵器用のプルトニウムを生産することから始まった。しかし米国はソ連との軍拡競争を進めるにあたり、米国への支持を集め、反核運動を沈静化するために、アイゼンハワー大統領が国連演説(Atoms for Peace)を行い、CIAは日本において読売新聞社の正力松太郎を通じて、大々的な原子力平和利用のキャンペーンを行った。最近公表された米国側の文書によると、当時米国では、この作戦は成功し日本人の反核感情は収まったと評価されていたようである。水爆実験による第五福竜丸以外の多くの漁船員の被曝実態が封印されたことも明らかになっている。
日本が原子力の平和利用に進んだのは、このような米国側の動機だけではなく、日本の政治家たちの側にも、核兵器開発が可能な原子力技術を確保したいという隠れた動機があったからだと思われる。こうした話は日本だけではなく原子力反対の国と思われているドイツでも、近年ミュンヘンに高濃縮燃料を使う新しい基礎科学研究用の原子炉が建設できた裏には、研究者たちが保守的な地元の政治家に「高濃縮燃料を取り扱える技術を持つことは国防上重要である」と囁いた結果予算が獲得できたからだといわれている。
なお、当初から高速増殖炉を建設する路線を採用したことも、ウランがない日本で資源を有効に使うという平和目的の理由だけではなく、使用済燃料の再処理能力とプルトニウム生産能力を持つことが核兵器保有能力につながるという政治家の思惑と結びついていたためだと思われる。早期に再処理路線を採用していたために、後の核不拡散の議論の際に、核大国以外で日本は唯一の例外国として再処理が認められた。近代国家体制にあって、これが持つ意味も重要である。
原発導入に当たって、東京電力にとっての不幸は、地震が少ない米国東部向けに設計されていたGEの沸騰水型軽水炉を、地震国である日本に設置することに対する配慮が全くなされないままに、導入したことである。関西電力などの加圧水型軽水炉は、少しはましであるものの、これも全電源喪失対策が充分であるとはいえないものが導入された。1960年日本原子力産業会議は事故の規模を試算し、事故時の賠償が国家予算に匹敵するほど膨大になるとの試算を得ていた。電力側は原発の導入を躊躇したが、政府がある程度以上の大事故については国が賠償責任を持つということを決めて、政治主導で建設が進められた。 現在は、完全とはいえないものの、長期の全電源喪失に耐えられるような、より安全な軽水炉の開発はなされてきているが、古いものを最新型に置き換えるということはなされていない。電力会社が安全対策に金をかけようとしなかったのは、単に経済優先という理由だけではなく、政治家が国家方針として進めた政策によるところも大きい。
現時点の技術でも実現可能な世界最高水準の安全基準を求めた場合、日本に現在ある原発は全て基準を満たせないであろう。誰が言い始めたのか、日本の原子力規制委員会の基準が世界で最も厳しいなどとまことしやかな説を振りまいて、再稼働を進めるのは危険である。再び今回の福島の事故と同様な事故が発生するリスクは高い。
原発を今後も利用するのであれば、本来は、現在の軽水炉よりもっと原理的に安全な新しい原子炉を開発してから、利用すべきである。それが待てないのであれば、せめて現在の原発は全て廃止して、暫定的に、長期の全電源喪失に耐える最新式の軽水炉に置き換えるべきであろう。既存の原発の再稼働か反原発かだけの選択は危険である。
しかし政府は、将来はなるべく原子力に頼らないようにすると言いつつ、今は再稼働の実績を早く作ろうとしているように見えるので、いずれいくつかの原発が再稼働されるであろう。また、現在の世論調査の結果でも、2030年代に原発を廃止するという意見が多いものの、ある程度の原発は必要との意見もあるのが現実である。
そこで、現実的対応としては、安全基準を満しつつ比較的新しい少数の原発の再稼働を認めるとしても、なるべく再稼働よりは最新式のものに置き換えることを進め、現在の世論分布を参考にして2030年に10基程度が稼働している状態をめざす。その上で、その時点の世論動向を考慮して、その後の選択をするといった方針が考えられる。
(安全原子力システムと使用済燃料処分の基礎研究)
安全神話と、より安全な原子炉の存在は矛盾するので、これまでは、より安全な原子炉の研究には予算が出にくかった。しかし福島の事故で、安全神話の破綻が明らかになったので、より安全にするための改修が求められており、それによって新しい安全基準を満たすことができれば再稼働を認めるというのが政府の方針である。一方、既存の原発を改修した程度では事故が再発するリスクが高いので、反原発派はこのまま再稼働せず全ての原発を廃炉にせよという。しかし、原発を全廃まではしなくてよいという意見も根強く存在する。
少数意見も無視しないのが民主主義であるなら、先に述べたように、より安全な原発をある程度利用しつつ議論を続け、今後の安全研究の成果も参照しつつ、全廃するか利用を続けるかを、例えば10年ごとに世論動向に沿って、判断するというのが現実的であろう。さらに現在の軽水炉の改良ではなく、より革新的な安全原子力システムの基礎研究をすべきである。原子炉開発史の初めには、様々なアイデアがあり試作もなされていた。現在の軽水炉が採用されたのはそれらが十分に比較検討された結果ではないことは既に述べた。
また、最近でも世界的には、高温ガス炉、トリウム溶融塩炉、加速器駆動未臨界炉、小型のカプセル型炉など、次世代炉としていくつかの方式が提案されており、開発研究がなされてもいる。急いで実用に供すればまた欠陥があるまま使うことになるので、充分に基礎研究を行ってから実用化すべきであるが、これらの研究を続けることは科学者・技術者として当然行うべきことではないかと考える。自主、民主、公開の原則の下で行われるその研究成果を見た上で、電力源として原発を採用するかしないかは、市民が判断するという手順で行うべきである。しかし、その前に電力会社が原発は実は採算がとれないことに気がついて撤退するかもしれない。
今後原発を利用しないとしても、安全原子力システムの研究とともに、不可欠なのは使用済燃料の処分方法の研究である。40年にわたる原発利用の結果、かなりの使用済燃料が既に蓄積されている。原発の利用を開始した時点では海洋の深いところに埋めるという案もあったが、国際的に海洋投棄が禁止されてから、トイレなきマンションといわれる状態が続いている。直接処分が経済的であるとされるが、人類の歴史と同じ程度の長期間にわたって安全に埋設することが可能であるとは思われない。学術会議はより良い方法が開発されたらそれを利用できるように、取り出し可能な形で地下に貯蔵すべきであると提言している。これは今の段階で現実的な案であると思われる。その上で、座して待っていてもよい処分方法がやってくる訳ではないので、よりよい処分方法についての基礎研究を早急に開始すべきである。
長寿命の放射性物質の原子核を変換して短寿命化できれば何万年も先まで心配しなくてよくなる。埋設する場合の敷地面積も少なくできる。このため、核変換の経済性の点から高速中性子炉を利用する案や、安全性の点から加速器駆動システム(ADS)を利用する案が提案されている。日本では高速炉の案は「もんじゅ」の延命策として提案されているが、「もんじゅ」は欠陥製品なので、もし高速炉を利用するなら新設した方がよい。ADSはヨーロッパや中国では研究が進んでいるが、日本では長らく研究が軽視され、京都大学原子炉実験所で小規模な研究が始まっているとはいえ、肝心の日本最大の研究機関である日本原子力研究開発機構(JAEA)では「もんじゅ」優先のためか、これまで後回しになっていた。福島の事故後ようやくJAEAでも少しADSの研究費が認められるようになった。今後の研究の発展に期待したい。もちろん、これもすぐに実用化段階に進めるのではなく、十分に基礎研究を行ってから、市民の同意を得て実用化すべきである。
一方、今後も原子力を利用するのであれば、ウランではなく原料としてトリウムを利用することを考えるべきである。トリウムを利用する燃料サイクルは使用済燃料中に長寿命の放射性物質が生成されにくいので、使用済燃料処分が容易になる。またトリウムサイクルでは核分裂性のウラン233を得る過程でウラン232が生じこの崩壊過程で強いガンマ線を出す物質が伴うので取り扱いにくく、また使用済燃料中にプルトニウムができにくい。これらの理由で現在原発に利用されているウラン・プルトニウムサイクルにくらべて核兵器製造には向かない燃料サイクルであるという利点もある。トリウムの多いインドでは将来的にはトリウムサイクルを採用すべく段階的に開発を進めている。欧米でもブルックヘブンの高橋博が提唱しノーベル賞受賞者であるルビアが推進しているトリウムサイクルによる加速器駆動未臨界炉の研究が進んでいる。日本には特にトリウムが多いわけではないが、世界的に偏在していないトリウムは資源確保面でもウランより有利であろう。トリウム溶融塩炉の試運転はかつて原子炉開発の初期に成功しているとはいえ、実用化には、まだ多くの解決すべき技術的課題があると考えられるので、基礎研究を着実に進めていくべきである。
なお、トリウムサイクルの、特に溶融塩炉については古川和男が亡くなるまで主張し続けたが、古川はまず現在の政策を非難することから始めるので、原子力ムラでは異端視されていた。しかし、当初から原子力政策の中心にいた伊原義徳は、最近出版されたオーラルヒストリー「日本原子力政策史」のなかで、トリウムサイクルは研究を促進すべきものとして正当に評価している。
単なるゴミ処理作業ではなく、こうした基礎研究は目的が重要であるだけではなく、それ自身学術的にも多くの課題解決を伴うものであるから、研究者にとっても魅力あるものとなる。基礎研究は、国益を越えて国際協力が可能なものであり、人類史的にも意義あると考える。
また、そのような重要で魅力ある研究に取り組むことは今後の原子力関係の人材育成にとっても有益である。これから現役の人たちが引退し、若い人材が育っていなければ、今後の原発の安全運転にとってはもちろんのこと、直ちに原発を全廃すると決めた場合でも数十年以上かかる廃炉作業が不可能になることを考えると、人材の育成は重要である。これまでの失態の責任がある政治家、行政、電力会社、学者、マスメディアを非難するのはよいが、現場の原子力の研究者や技術者をバッシングすることにより、若い人材がいなくなる事態はさけるべきである。
現実対応ばかりでは道を誤る。理想を掲げるだけでは現実が打開できぬ。理想を掲げることで、多少の回り道をしても引き返せないような道に陥ることだけは避け、現実に対処して少しずつ進めていくことが肝心である。その道はおそらく一つではない。多くの人の考え方に耳を傾けながら、自主、民主、公開の原則にたって今後の原子力の道を探ることが今こそ求められている。
核反応に伴って放出されるエネルギー、いわゆる原子力は、これまで主として兵器および発電に使われてきている。北朝鮮などにおける核兵器開発の動きと東京電力福島第一原子力発電所の事故により、今後の原子力政策がどうあるべきかが、軍事利用の面でもいわゆる平和利用の面でも、これまでになく大きな課題となって来ている。
核兵器に関しては、太平洋戦争末期の広島と長崎における原爆投下による被爆と、ビキニ水爆実験による漁船員の被災を経験した日本人の間では核兵器をなくしたいという気持ちが強い。しかし世界にはいわゆる核大国の他にも核兵器を保有する国もしくは保有したい国々がある。
一方、発電に関しては、日本も平和利用と称して推進してきたが、東京電力福島第一原子力発電所の事故で甚大な被害が生じたことで、今後のあり方が問われている。しかし世界的には特に新興国において今後も原発を建設したいという国もあり、これに応えて日本でも国内の原発の再稼働だけではなく、原発の輸出を図ろうとしている。
今こそ、無定見なその場かぎり対応を重ねるのではなく、長期的な視点でこれからの原子力がどうあるべきかを真摯に考える時である。
(原子力の特徴)
原子力が利用される以前から人類が利用している化学反応に伴うエネルギーと比較してみると、原子力は極めて少量の物質で莫大なエネルギーを発生するという特徴と、反応の際に放射線を発生し、さらに放射線を放出する能力(放射能)がある物質が生じるという特徴がある。
第一の特徴である少量の物質で大量のエネルギーを作ることができるということは、兵器に利用する場合、通常の火薬による爆弾よりはるかに大量の殺戮が可能な爆弾を作ることができることを意味する。大量破壊兵器といわれる所以である。発電の場合も少量の燃料を備蓄することで長期間の発電が可能になるので、日本のような石油がない国では準国産エネルギーと考えられ、エネルギー自給率が高まるともいわれる。
第二の特徴である放射線に関しては、微量の自然放射線による被曝は人類が原子力の利用を始める以前からあったことであるが、大量の放射線被曝が即死をもたらし、少量であっても発がんのリスクが高くなる問題がある。このことを、おびただしい実例で身を以て示したのは広島・長崎の犠牲者たちである。核兵器が使用された時の放射線影響と対策はそれ以前の兵器にはない異質のものである。また原発からの放射線遮蔽と放射性物質の閉じ込めも他の発電所にない技術を必要とする。
(利便性と危険性ならびに制御可能性)
アルフレッド・ノーベルは、取扱が危険なニトログリセリンの改良研究を行い、途中で事故を起こしつつも、より安全な爆発物であるダイナマイトを発明して巨万の富を得ることに成功した。その後、死の商人と言われることを気にしたのか、遺産をノーベル賞の基金とした。しかしダイナマイトは戦争で使われるだけでなく、各種の工事にも使われる。工事現場でも事故が起こるリスクはある。ダイナマイトは典型的な例であるが、全ての発明品には同様な利便性と危険性がある。原子力はその二面性が極端に大きなものである。
福島の事故を受けて、原子力は人間にはコントロールできないものであり、神ならぬ人類が扱うべきものではないとの主張がなされ、さらには科学一般についても否定するような傾向が見られた。しかし人類は道具を使うことで他の生き物とは異なる文明を発展させたわけで、科学や技術を否定することと人類の存在とは相容れない。そこで人類の存在が悪であるという考え方も出てくるかも知れないが、神を持ち出しては、議論が宗教論争のようなもの、あるいは魔女狩りのようなものになる。ここではそのような形而上学的議論より具体的な場合について考えてみる。
高速道路を走っている自動車の場合、運転手はハンドルやブレーキで方向や速度を制御できるが、ひとたびガードレールを飛び出して谷底に落ち始めるとニュートンの法則に従い、重力によって放物線を描いて落下するだけで、運転手がハンドルやブレーキで落下中の軌道を制御することはできない。そういう意味で人間は自然をコントロールできない。
原子炉の場合も、一個の中性子がウランに衝突するとき、必ず核分裂反応が起こるわけではなく、起こる確率(いわゆる反応の断面積)が決まっていて、その確率を人間が変えることはできない。ここでも人間は自然をコントロールできない。しかし、原子炉の中にある中性子の数は制御棒で制御できるので、原子炉内で起こる核分裂の数を制御することはできる。つまり制御棒が正常に動作する限り、原子炉の出力を制御することや運転を停止することはできるのである。自動車の場合も原子炉の場合も人間がコントロールできるところとできないところがある。
自動車の場合は、自動車事故の死者は非常に多いにも関わらず、運転手は事故のリスクを承知の上で運転しており、また自家用車の場合には事故の影響が及ぶ範囲も限られていると思われているから、反自動車運動は起こらない。しかし、原発は事故が起これば広範囲に影響が及び、放射線という日常的には実感できないリスクが関わるので忌避したくなる。この心情に加えて、世界の最新の原子炉に比べて安全性に劣る原子炉がいまだに使われており、電力会社のトップは腐敗していて信用ができないとあっては、反原発運動が起こるのは当然である。
(原則と現実)
核分裂反応は自然科学現象であり、その発見や知識をなかったことにはできないし、それを理解しておくことは、この宇宙で、地球で人類が生存するために有益である。問題はそれを応用する技術として、原爆や原発を発明した時に、それを実際に使うかどうかの判断であった。しかし、原子力は政治的理由によって早すぎる使用がなされた。
原爆は、本来ドイツに対して使用することを目指して開発された。しかし、開発完了時に既にドイツが降伏していたため、効果を試したい米軍が日本の降伏前に急いで広島・長崎でそれぞれウラン型・プルトニウム型を投下した。
原発の場合には、発電炉として最適のものを開発してから実用化されたのではなく、発電でソ連に先を越された米国が急いで潜水艦用の原子炉を改造して発電用軽水炉を製作し、軽水炉が主流になったという現実がある。
日本では最初の原子力委員会で湯川秀樹は基礎研究を行った後に実用化を目指すべきとしたが、委員長の正力松太郎は早期に外国製の商業炉を輸入する路線を主張した。湯川は、この最初の委員会直後に、湯川の委員就任を支持した周辺に対して、君たちが言っていたのと話が違うから自分は委員を辞めると言いだし、森一久らがなだめたというが、結局1年後に体調不良を理由に委員を辞任する。このままでは湯川がつぶれるからと心配した京都の支援者達がやめさせたという説もある。
人類が数十年にわたって核兵器を保有し原発を使用してきた今となっては、無かった状態には戻せない。しかし、この状況下でもなお、私は原子力の利用に関して、原則的には次の3点が基本であると考える。
1.大量破壊兵器である核兵器は廃絶すべきである。
2.事故のリスクが大きい現在の原発は廃止すべきである。
3.安全原子力システムと使用済燃料処分技術の基礎研究を行うべきである。
とはいえ、この原則を直ちに実行実現することは容易ではない現実がある。その根本的な原因は、人類史の現在の発展段階にある。以下に上記3点のそれぞれについてコメントする。
(核兵器の廃絶)
ヨーロッパに始まり、その後は世界を舞台とした、近代国家による幾度かの大規模な戦争、特に非戦闘員を巻き込む世界大戦は、産業化された総力戦となり、甚大な被害を引き起こした。その反省から非人道的な兵器の使用を禁止する国際法や、国際連盟や国際連合といった平和のための組織作りがなされた。第二次大戦後、ヨーロッパでは永年の宿敵であったドイツとフランスが和解し、ヨーロッパ連合(EU)へと進化している。
しかし、世界的にみれば、各国は依然として近代国家の枠組みで動いている。近代国家は、国境を定め、国民を定義する。その国是としては、基本的に富国強兵を原則としている。富国強兵は、強い国と弱い国、富める国と貧しい国という格差がないと原理的に成り立たない概念である。
兵器に関しては、生物化学兵器は非人道的であるとして禁止したものの、最大の大量破壊兵器である核兵器については、これを持つ大国は保有し続け、持たない国が持つ国になることを妨げるという状態が生じている。このように現在の核不拡散条約(NPT)が不平等なのは、近代国家の原理が働いているからである。したがって、近代国家体制が続く限り、もし核兵器がなくなる時があるとすれば、それは核兵器以上に強力な大量破壊兵器が発明された時である。
湯川秀樹はこの現実を顧みて、人類は近代国家体制の段階から次の段階に進むべきだと考えたのであろう、世界連邦を目指す運動を始めた。実際、人類社会の長い歴史を考えると、ホモサピエンスがアフリカから出て世界中に広がって行った数万年の歴史と比べても、近代国家の時代はたかだか200年程度のものであり、ずっと昔から続いて来たものではない。これが人類の発明した最終的な優れた仕組みともいえないから、やがて次の段階、湯川にとっては世界連邦、に移行するであろうと考えたのも無理はない。
しかし、湯川の提案はおそらく100年早かった。世界連邦を作ることは当時としては非現実的な夢物語であり、今もなお、そうであろう。人、もの、金(マネー)が国境を簡単に越えてグローバルに動き回る時代になり、先進地域であるヨーロッパで試みられているEUは人類史の次の段階を目指すものであるかもしれないが、未だ完全に成功しているとはいえず、試行錯誤段階である。まして他の、特に中国などのいわゆる新興国といわれる国々は近代国家としての大国を目指して、まさしく富国強兵路線を突き進んでいる。アメリカもロシアも卒業できていない。日本は悲惨な敗戦を経験して、二度と戦争をしないという決心をしたが、世界の現実と合わず悩んでいる。
大坂夏の陣で、徳川方が行った町民に対する殺人、強姦、略奪、暴行、放火などは凄まじく、敵の将兵の首を取ってくれば褒美を出すと言ったために町民の首を取って敵の将兵の首と偽る、いわゆるニセ首が横行した。初めて大規模な城下町を戦場とし、非戦闘員を巻き込んだ戦争の酷さに恐懼した武士達は、家康に信服していたわけではないが、もはや戦争はやめようと考え、その効果は200年間続いた。ヨーロッパでは第一次大戦で初めて本格的な非戦闘員を巻き込む悲惨な戦争を経験したが、戦後処理を誤ったために30年足らずで第二次大戦が起こった。
日本における太平洋戦争の悲惨な経験の効果はいつまで続くであろうか。やがて戦争を知る世代がいなくなった時に、日本は世界の現状に合わせてもう一度戦争を経験しなければならないのであろうか。戦争経験者には現在の日本の政治と原子力の状況を懸念している人が多い。しかし絶望すべきではない。
理想がすぐには実現しそうにない現状でできることは、いずれ多くの国が、近代国家の行き詰まり、すなわち全ての国が平和裡に富国強兵的近代国家にはなり得ないという原理的矛盾、を認識するであろうと希望を持って、それまでは理想を掲げつつも現実的に一歩ずつ前進することであろう。具体的には、不完全な組織であっても現在ある国連やIAEAなどの国際機関をあるべき方向に持っていく努力をし、国際紛争を関係国による戦争によって解決するのではなく、国連の警察力を活用して解決するという、既に原則的には合意されている仕組みの実現に近づける努力をすることがまず求められる。
核兵器に関しては、少しでも大国の核兵器が縮減されるような交渉を進め、世界平和と核不拡散のシステムの整備に合わせて、段階的に全世界の核兵器の廃絶へと進めるしかない。このためには、まず不平等なNPTをより平等なものにすることによって、核廃絶に対する核兵器を持たない国の理解を得る努力が必要である。
この際に、日本は米国の核の傘のもとにいることは明らかなので、特に核兵器保有量が多いアメリカとロシアに核兵器廃絶を求める姿勢を示さない限り、日本が核不拡散の訴えをしても、核兵器を持たない国に理解されることはないであろう。
(原発の廃止)
もともと、原子炉の実用化は核兵器用のプルトニウムを生産することから始まった。しかし米国はソ連との軍拡競争を進めるにあたり、米国への支持を集め、反核運動を沈静化するために、アイゼンハワー大統領が国連演説(Atoms for Peace)を行い、CIAは日本において読売新聞社の正力松太郎を通じて、大々的な原子力平和利用のキャンペーンを行った。最近公表された米国側の文書によると、当時米国では、この作戦は成功し日本人の反核感情は収まったと評価されていたようである。水爆実験による第五福竜丸以外の多くの漁船員の被曝実態が封印されたことも明らかになっている。
日本が原子力の平和利用に進んだのは、このような米国側の動機だけではなく、日本の政治家たちの側にも、核兵器開発が可能な原子力技術を確保したいという隠れた動機があったからだと思われる。こうした話は日本だけではなく原子力反対の国と思われているドイツでも、近年ミュンヘンに高濃縮燃料を使う新しい基礎科学研究用の原子炉が建設できた裏には、研究者たちが保守的な地元の政治家に「高濃縮燃料を取り扱える技術を持つことは国防上重要である」と囁いた結果予算が獲得できたからだといわれている。
なお、当初から高速増殖炉を建設する路線を採用したことも、ウランがない日本で資源を有効に使うという平和目的の理由だけではなく、使用済燃料の再処理能力とプルトニウム生産能力を持つことが核兵器保有能力につながるという政治家の思惑と結びついていたためだと思われる。早期に再処理路線を採用していたために、後の核不拡散の議論の際に、核大国以外で日本は唯一の例外国として再処理が認められた。近代国家体制にあって、これが持つ意味も重要である。
原発導入に当たって、東京電力にとっての不幸は、地震が少ない米国東部向けに設計されていたGEの沸騰水型軽水炉を、地震国である日本に設置することに対する配慮が全くなされないままに、導入したことである。関西電力などの加圧水型軽水炉は、少しはましであるものの、これも全電源喪失対策が充分であるとはいえないものが導入された。1960年日本原子力産業会議は事故の規模を試算し、事故時の賠償が国家予算に匹敵するほど膨大になるとの試算を得ていた。電力側は原発の導入を躊躇したが、政府がある程度以上の大事故については国が賠償責任を持つということを決めて、政治主導で建設が進められた。 現在は、完全とはいえないものの、長期の全電源喪失に耐えられるような、より安全な軽水炉の開発はなされてきているが、古いものを最新型に置き換えるということはなされていない。電力会社が安全対策に金をかけようとしなかったのは、単に経済優先という理由だけではなく、政治家が国家方針として進めた政策によるところも大きい。
現時点の技術でも実現可能な世界最高水準の安全基準を求めた場合、日本に現在ある原発は全て基準を満たせないであろう。誰が言い始めたのか、日本の原子力規制委員会の基準が世界で最も厳しいなどとまことしやかな説を振りまいて、再稼働を進めるのは危険である。再び今回の福島の事故と同様な事故が発生するリスクは高い。
原発を今後も利用するのであれば、本来は、現在の軽水炉よりもっと原理的に安全な新しい原子炉を開発してから、利用すべきである。それが待てないのであれば、せめて現在の原発は全て廃止して、暫定的に、長期の全電源喪失に耐える最新式の軽水炉に置き換えるべきであろう。既存の原発の再稼働か反原発かだけの選択は危険である。
しかし政府は、将来はなるべく原子力に頼らないようにすると言いつつ、今は再稼働の実績を早く作ろうとしているように見えるので、いずれいくつかの原発が再稼働されるであろう。また、現在の世論調査の結果でも、2030年代に原発を廃止するという意見が多いものの、ある程度の原発は必要との意見もあるのが現実である。
そこで、現実的対応としては、安全基準を満しつつ比較的新しい少数の原発の再稼働を認めるとしても、なるべく再稼働よりは最新式のものに置き換えることを進め、現在の世論分布を参考にして2030年に10基程度が稼働している状態をめざす。その上で、その時点の世論動向を考慮して、その後の選択をするといった方針が考えられる。
(安全原子力システムと使用済燃料処分の基礎研究)
安全神話と、より安全な原子炉の存在は矛盾するので、これまでは、より安全な原子炉の研究には予算が出にくかった。しかし福島の事故で、安全神話の破綻が明らかになったので、より安全にするための改修が求められており、それによって新しい安全基準を満たすことができれば再稼働を認めるというのが政府の方針である。一方、既存の原発を改修した程度では事故が再発するリスクが高いので、反原発派はこのまま再稼働せず全ての原発を廃炉にせよという。しかし、原発を全廃まではしなくてよいという意見も根強く存在する。
少数意見も無視しないのが民主主義であるなら、先に述べたように、より安全な原発をある程度利用しつつ議論を続け、今後の安全研究の成果も参照しつつ、全廃するか利用を続けるかを、例えば10年ごとに世論動向に沿って、判断するというのが現実的であろう。さらに現在の軽水炉の改良ではなく、より革新的な安全原子力システムの基礎研究をすべきである。原子炉開発史の初めには、様々なアイデアがあり試作もなされていた。現在の軽水炉が採用されたのはそれらが十分に比較検討された結果ではないことは既に述べた。
また、最近でも世界的には、高温ガス炉、トリウム溶融塩炉、加速器駆動未臨界炉、小型のカプセル型炉など、次世代炉としていくつかの方式が提案されており、開発研究がなされてもいる。急いで実用に供すればまた欠陥があるまま使うことになるので、充分に基礎研究を行ってから実用化すべきであるが、これらの研究を続けることは科学者・技術者として当然行うべきことではないかと考える。自主、民主、公開の原則の下で行われるその研究成果を見た上で、電力源として原発を採用するかしないかは、市民が判断するという手順で行うべきである。しかし、その前に電力会社が原発は実は採算がとれないことに気がついて撤退するかもしれない。
今後原発を利用しないとしても、安全原子力システムの研究とともに、不可欠なのは使用済燃料の処分方法の研究である。40年にわたる原発利用の結果、かなりの使用済燃料が既に蓄積されている。原発の利用を開始した時点では海洋の深いところに埋めるという案もあったが、国際的に海洋投棄が禁止されてから、トイレなきマンションといわれる状態が続いている。直接処分が経済的であるとされるが、人類の歴史と同じ程度の長期間にわたって安全に埋設することが可能であるとは思われない。学術会議はより良い方法が開発されたらそれを利用できるように、取り出し可能な形で地下に貯蔵すべきであると提言している。これは今の段階で現実的な案であると思われる。その上で、座して待っていてもよい処分方法がやってくる訳ではないので、よりよい処分方法についての基礎研究を早急に開始すべきである。
長寿命の放射性物質の原子核を変換して短寿命化できれば何万年も先まで心配しなくてよくなる。埋設する場合の敷地面積も少なくできる。このため、核変換の経済性の点から高速中性子炉を利用する案や、安全性の点から加速器駆動システム(ADS)を利用する案が提案されている。日本では高速炉の案は「もんじゅ」の延命策として提案されているが、「もんじゅ」は欠陥製品なので、もし高速炉を利用するなら新設した方がよい。ADSはヨーロッパや中国では研究が進んでいるが、日本では長らく研究が軽視され、京都大学原子炉実験所で小規模な研究が始まっているとはいえ、肝心の日本最大の研究機関である日本原子力研究開発機構(JAEA)では「もんじゅ」優先のためか、これまで後回しになっていた。福島の事故後ようやくJAEAでも少しADSの研究費が認められるようになった。今後の研究の発展に期待したい。もちろん、これもすぐに実用化段階に進めるのではなく、十分に基礎研究を行ってから、市民の同意を得て実用化すべきである。
一方、今後も原子力を利用するのであれば、ウランではなく原料としてトリウムを利用することを考えるべきである。トリウムを利用する燃料サイクルは使用済燃料中に長寿命の放射性物質が生成されにくいので、使用済燃料処分が容易になる。またトリウムサイクルでは核分裂性のウラン233を得る過程でウラン232が生じこの崩壊過程で強いガンマ線を出す物質が伴うので取り扱いにくく、また使用済燃料中にプルトニウムができにくい。これらの理由で現在原発に利用されているウラン・プルトニウムサイクルにくらべて核兵器製造には向かない燃料サイクルであるという利点もある。トリウムの多いインドでは将来的にはトリウムサイクルを採用すべく段階的に開発を進めている。欧米でもブルックヘブンの高橋博が提唱しノーベル賞受賞者であるルビアが推進しているトリウムサイクルによる加速器駆動未臨界炉の研究が進んでいる。日本には特にトリウムが多いわけではないが、世界的に偏在していないトリウムは資源確保面でもウランより有利であろう。トリウム溶融塩炉の試運転はかつて原子炉開発の初期に成功しているとはいえ、実用化には、まだ多くの解決すべき技術的課題があると考えられるので、基礎研究を着実に進めていくべきである。
なお、トリウムサイクルの、特に溶融塩炉については古川和男が亡くなるまで主張し続けたが、古川はまず現在の政策を非難することから始めるので、原子力ムラでは異端視されていた。しかし、当初から原子力政策の中心にいた伊原義徳は、最近出版されたオーラルヒストリー「日本原子力政策史」のなかで、トリウムサイクルは研究を促進すべきものとして正当に評価している。
単なるゴミ処理作業ではなく、こうした基礎研究は目的が重要であるだけではなく、それ自身学術的にも多くの課題解決を伴うものであるから、研究者にとっても魅力あるものとなる。基礎研究は、国益を越えて国際協力が可能なものであり、人類史的にも意義あると考える。
また、そのような重要で魅力ある研究に取り組むことは今後の原子力関係の人材育成にとっても有益である。これから現役の人たちが引退し、若い人材が育っていなければ、今後の原発の安全運転にとってはもちろんのこと、直ちに原発を全廃すると決めた場合でも数十年以上かかる廃炉作業が不可能になることを考えると、人材の育成は重要である。これまでの失態の責任がある政治家、行政、電力会社、学者、マスメディアを非難するのはよいが、現場の原子力の研究者や技術者をバッシングすることにより、若い人材がいなくなる事態はさけるべきである。
現実対応ばかりでは道を誤る。理想を掲げるだけでは現実が打開できぬ。理想を掲げることで、多少の回り道をしても引き返せないような道に陥ることだけは避け、現実に対処して少しずつ進めていくことが肝心である。その道はおそらく一つではない。多くの人の考え方に耳を傾けながら、自主、民主、公開の原則にたって今後の原子力の道を探ることが今こそ求められている。
朝日新聞の従軍慰安婦事件 ― 2014年08月17日 10:22
朝日新聞は過去の従軍慰安婦に関する記事に誤りがあったとして、取り消しと弁明をした。主な誤りは、いわゆる吉田清治証言が全くの虚言であったのにそのまま信じて強制連行の記事を書いたということと、女子挺身隊を慰安婦と混同した記事を書いたというものである。
吉田証言については、まずそれを聞いた時点で真相を確認するという記者として当然のことが為されなかったのが不思議である。さらに捏造であることが判明してから今まで記事を取り消さなかったことも理解できない。
女子挺身隊に関しては全く常識を疑う。当時は研究が進んでなかったなどと言い訳をしているが、誰の研究なのか。研究などしなくても旧制女学校の生徒なら皆知っていたことであるから、周りの年配の者からその言葉を聞いたこともあっただろうし、なければ記事を書いた当時なら聞くことができる人もまだ多くいたはずである。いわゆる従軍慰安婦の数が何十万となってしまったのはこの混同のせいだから罪深い。
謝罪が一切無いばかりか言い訳ばかりで、他の新聞も似たようなものだったという検証まで付け加える態度には、朝日新聞の品格の劣化を感じざるを得ない。これまで何十年も朝日新聞を読んできた者として情けなく恥ずかしい。
とはいえ、これをとらえて朝日新聞の首を取ったように歓喜している他のジャーナリストたちもいただけない。STAP細胞事件のときに分子生物学会が小保方氏と理研を批判するばかりで、自分たちの学会の体質についての反省が見られなかったことに疑問を持ったが、今回の朝日新聞事件についても同じ疑問を持つ。
子供の頃、新聞記者はゆすりたかりをする連中とあまり変わらないから近づかない方がいいと、大人たちが言っていたのを思い出すが、大新聞はまっとうなことを書いてくれるものだと思うのは、いまだに幻想であるのだろう。
吉田証言については、まずそれを聞いた時点で真相を確認するという記者として当然のことが為されなかったのが不思議である。さらに捏造であることが判明してから今まで記事を取り消さなかったことも理解できない。
女子挺身隊に関しては全く常識を疑う。当時は研究が進んでなかったなどと言い訳をしているが、誰の研究なのか。研究などしなくても旧制女学校の生徒なら皆知っていたことであるから、周りの年配の者からその言葉を聞いたこともあっただろうし、なければ記事を書いた当時なら聞くことができる人もまだ多くいたはずである。いわゆる従軍慰安婦の数が何十万となってしまったのはこの混同のせいだから罪深い。
謝罪が一切無いばかりか言い訳ばかりで、他の新聞も似たようなものだったという検証まで付け加える態度には、朝日新聞の品格の劣化を感じざるを得ない。これまで何十年も朝日新聞を読んできた者として情けなく恥ずかしい。
とはいえ、これをとらえて朝日新聞の首を取ったように歓喜している他のジャーナリストたちもいただけない。STAP細胞事件のときに分子生物学会が小保方氏と理研を批判するばかりで、自分たちの学会の体質についての反省が見られなかったことに疑問を持ったが、今回の朝日新聞事件についても同じ疑問を持つ。
子供の頃、新聞記者はゆすりたかりをする連中とあまり変わらないから近づかない方がいいと、大人たちが言っていたのを思い出すが、大新聞はまっとうなことを書いてくれるものだと思うのは、いまだに幻想であるのだろう。
大統領の正義と首相の正義 ― 2014年04月28日 10:42
正義は一つではない。しかし問題の解決を戦争で決しようとしたとたんに勝った側の正義がまかり通る。負けた側はもしその結果が気に入らず自分の正義を認めさせようとするのであれば再び戦争に訴えて勝つしかない。これが戦争によって問題を解決する時の掟である。古来人類はそうやって戦争をし続けてきた。
しかし核兵器が使用された第二次大戦後にヨーロッパでは長年勝ったり負けたりしたドイツとフランスがヨーロッパの滅亡を避けるために和解し、現在のEUを作る歩みを始めた。マクニールは「戦争の世界史」の最後で人類史が世界帝国か人類の絶滅かという時代になったと述べている。EUの試みはまだ成功したとは言えない不安定な状態ではあるが、絶滅を避ける努力であろう。
とはいえ、世界の現状はいまだ富国強兵を目指す新興国が勢いを増しつつある。今のところの世界秩序は最後の戦争であった連合国側の正義が貫かれている。ニュルンベルグの戦争裁判がおかしいと思うドイツ人がいてもドイツという敗戦国を代表する政治指導者は謝罪し続けなければならない。東京裁判がおかしいと思う日本人がいても日本を代表する政治指導者は謝罪し続けなければならないのが冒頭に述べた掟である。ドイツの指導者はその姿勢を守りつつ次の時代を探っているが、日本の指導者はそれをチャラにしたいらしいと思われている。
安倍首相は戦後レジームからの脱却を主張する。そもそも「戦後」という、勝ったか負けたか分からない言葉使いがよくない。日本にとっては敗戦後である。首相のつもりでは、いわゆる戦後の左翼的風潮を変えたいということであろうが、世界で戦後レジームと言えば戦勝国の正義を意味する。従ってそれを覆すという姿勢は戦勝国である特に近隣の中国やロシアにとっては許しがたい掟破りに映る。米国も同じ思いであろう。
琉球新報が日米共同声明に関する記者会見で、オバマ大統領が尖閣列島問題に関して米国の防衛義務を述べたあと「同時に私は安倍首相に直接言った。日中間で対話や信頼関係を築くような方法ではなく、事態がエスカレーションしていくのを看過し続けるのは重大な誤りだと」と発言した最後の「重大な誤り」というところを通訳が「正しくない」と意図的に誤訳して、これを大新聞もそのまま報じたと批判している。大統領はprofound mistakeと言ったらしい。アメリカ人がオーミステイクといって頭を抱えて自責の念に駆られる様を言うのだろうか。いずれにしても根源的な過ちということなのだろう。つまりは「不正義」あるいは「悪」ということであろうが、通訳は「不正義」というのは硬い表現なので「正しくない」と言ったのかもしれない。悪意のある誤訳とまでは言えないかもしれない。しかし、日本で「正しくない」と言われた相手が「正しくないとしても間違いだというわけでもない」という反論をすることは多い。「正しくない」というのは「正解でない」というだけで、100点満点ではないが60点は取れているということも含むと主張できる表現なのだ。
「悪意」があったかどうか別として、正義はなかなか難しい。むろん戦争によって決着をつければいいとも言えない。
しかし核兵器が使用された第二次大戦後にヨーロッパでは長年勝ったり負けたりしたドイツとフランスがヨーロッパの滅亡を避けるために和解し、現在のEUを作る歩みを始めた。マクニールは「戦争の世界史」の最後で人類史が世界帝国か人類の絶滅かという時代になったと述べている。EUの試みはまだ成功したとは言えない不安定な状態ではあるが、絶滅を避ける努力であろう。
とはいえ、世界の現状はいまだ富国強兵を目指す新興国が勢いを増しつつある。今のところの世界秩序は最後の戦争であった連合国側の正義が貫かれている。ニュルンベルグの戦争裁判がおかしいと思うドイツ人がいてもドイツという敗戦国を代表する政治指導者は謝罪し続けなければならない。東京裁判がおかしいと思う日本人がいても日本を代表する政治指導者は謝罪し続けなければならないのが冒頭に述べた掟である。ドイツの指導者はその姿勢を守りつつ次の時代を探っているが、日本の指導者はそれをチャラにしたいらしいと思われている。
安倍首相は戦後レジームからの脱却を主張する。そもそも「戦後」という、勝ったか負けたか分からない言葉使いがよくない。日本にとっては敗戦後である。首相のつもりでは、いわゆる戦後の左翼的風潮を変えたいということであろうが、世界で戦後レジームと言えば戦勝国の正義を意味する。従ってそれを覆すという姿勢は戦勝国である特に近隣の中国やロシアにとっては許しがたい掟破りに映る。米国も同じ思いであろう。
琉球新報が日米共同声明に関する記者会見で、オバマ大統領が尖閣列島問題に関して米国の防衛義務を述べたあと「同時に私は安倍首相に直接言った。日中間で対話や信頼関係を築くような方法ではなく、事態がエスカレーションしていくのを看過し続けるのは重大な誤りだと」と発言した最後の「重大な誤り」というところを通訳が「正しくない」と意図的に誤訳して、これを大新聞もそのまま報じたと批判している。大統領はprofound mistakeと言ったらしい。アメリカ人がオーミステイクといって頭を抱えて自責の念に駆られる様を言うのだろうか。いずれにしても根源的な過ちということなのだろう。つまりは「不正義」あるいは「悪」ということであろうが、通訳は「不正義」というのは硬い表現なので「正しくない」と言ったのかもしれない。悪意のある誤訳とまでは言えないかもしれない。しかし、日本で「正しくない」と言われた相手が「正しくないとしても間違いだというわけでもない」という反論をすることは多い。「正しくない」というのは「正解でない」というだけで、100点満点ではないが60点は取れているということも含むと主張できる表現なのだ。
「悪意」があったかどうか別として、正義はなかなか難しい。むろん戦争によって決着をつければいいとも言えない。
小保方STAP細胞事件のおかしさ ― 2014年04月11日 18:14
いわゆるSTAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)に関する小保方晴子氏らのネイチャー論文は学問的議論を超えて事件となっている。常識的にはこれだけずさんな論文であれば信憑性が疑われるのは当然である。しかし、小保方氏は未熟というよりむしろ常識的な人物ではないのかもしれない。常識的でない人物をどう受け止めるかは難しい。ただ、問題が指摘されてからの諸々の事態の展開は別にして、STAP細胞があるかどうかに関しては、上司の笹井芳樹氏は、刺激惹起性多能性獲得現象は実際にある現象であると述べているようである。そうだとすると小保方論文は、なぜそうなるのかという理由の解明やいろいろなケースについての十分な確認実験は出来ていないが、非常に不思議な現象なので、取りあえず紹介するという段階の第1報という位置づけなのかもしれない。通常は第1報を出す場合も、実際には十分な検証は出来ていて、ただフルペーパーとして書き上げる前にレター論文として速報するという性質のものであるが、バイオ関係は競争が激しく進歩も早いので今回のようなこともあるのかもしれない。以下に他の人が言及していないいくつかの問題点を述べる。
ネイチャー誌に掲載されることを過度に評価することが生命系では特に多いが、ネイチャーは商業誌であり、商業誌は雑誌が売れるような論文を好むので魅力的な表現を求められる。その結果センセーショナルな反応を引き起こすことになりかねないリスクがある。権威という観点では、もう少しそれぞれの専門の学会が発行する雑誌を大事にしてほしいものである。
実態が、単に不思議な現象が見つかったことは事実だが、まだ真相究明は出来てないということであれば、ネイチャーに論文が掲載されたというだけで大騒ぎして理研が組織を挙げて宣伝したのは行き過ぎで、静かに次のステップの研究を進めて行きたいというコメントを出すだけにとどめるべきであった。政府や理研の側に、理研の新法人化への思惑が絡んでいたとすれば論外である。
疑惑が生じてから、バイオ系の研究者が、自分たちは問題なくやっているのに小保方氏が非常識なことをやっていただけという、小保方氏非難のコメントのみを発していることは問題である。かつて原子力関係で国内外の事故が起こったつど、日本ではあり得ないとか、小さな燃料加工会社のミスのせいで電力会社はこんなに安全に気をつけてやっているのに迷惑だという反応をしていたが、実態はその後電力会社が腐っていたことが証明される事態が起こり、とどめは福島原発事故という次第である。バイオ関係者はまず自らの学会の体質に問題が無いかを点検し反省すべきではないかと思う。特にバイオ関係の実験は共同研究とはいっても一つ一つの実験プロセスは一人で行える小規模のものであるからミスが起こりやすいと考えられる。特に活気があり発展が著しい分野では若い人の勇み足が起こりやすい。
ネイチャー誌に掲載されることを過度に評価することが生命系では特に多いが、ネイチャーは商業誌であり、商業誌は雑誌が売れるような論文を好むので魅力的な表現を求められる。その結果センセーショナルな反応を引き起こすことになりかねないリスクがある。権威という観点では、もう少しそれぞれの専門の学会が発行する雑誌を大事にしてほしいものである。
実態が、単に不思議な現象が見つかったことは事実だが、まだ真相究明は出来てないということであれば、ネイチャーに論文が掲載されたというだけで大騒ぎして理研が組織を挙げて宣伝したのは行き過ぎで、静かに次のステップの研究を進めて行きたいというコメントを出すだけにとどめるべきであった。政府や理研の側に、理研の新法人化への思惑が絡んでいたとすれば論外である。
疑惑が生じてから、バイオ系の研究者が、自分たちは問題なくやっているのに小保方氏が非常識なことをやっていただけという、小保方氏非難のコメントのみを発していることは問題である。かつて原子力関係で国内外の事故が起こったつど、日本ではあり得ないとか、小さな燃料加工会社のミスのせいで電力会社はこんなに安全に気をつけてやっているのに迷惑だという反応をしていたが、実態はその後電力会社が腐っていたことが証明される事態が起こり、とどめは福島原発事故という次第である。バイオ関係者はまず自らの学会の体質に問題が無いかを点検し反省すべきではないかと思う。特にバイオ関係の実験は共同研究とはいっても一つ一つの実験プロセスは一人で行える小規模のものであるからミスが起こりやすいと考えられる。特に活気があり発展が著しい分野では若い人の勇み足が起こりやすい。
歴史認識(古代史) ― 2014年02月14日 18:29
10数万年前にアフリカで生まれた現生人類ホモ・サピエンスは数万年以上前にアフリカから出てユーラシア大陸に渡りオセアニアや、極東からアメリカ大陸へと広がったとされる。一部旧人であるネアンデルタール人との混血もあったとされるが、現在旧人は絶滅し、白色人種・黄色人種・黒色人種(コーカソイド・モンゴロイド・ネグロイド)などの人種は種の違いではなく、同一の種である新人ホモ・サピエンスであり、人種という概念は使うべきでないともいわれている。
ユーラシア大陸側から日本列島を見るとアジアの辺境にはみ出した最果ての地であり、そこはアフリカから出て遍歴の途中で様々な変化を遂げた人々が、いろいろな方面から流れ着いた吹きだまりの地である。実際DNAによる研究でも日本列島には他の地域には例がないほど多種類の系統の人々が到来したことがうかがえるという。
後期旧石器時代の氷河で大陸と陸続きだった4万年ほど前、日本列島に到来したのは主に古モンゴロイドと呼ばれる人々である。やがて1万年ほど前に地球が温暖になって大陸と海で隔てられるようになると、新石器時代に入り縄文式土器を使い始める。
稲作は1万年ほど前に中国南部で始まったとされ、日本列島には縄文時代の終わりには伝わった。その一部は中国南部から直接海を渡って九州などに伝わったと見られる。実際九州などで熱帯性品種が伝来した痕跡が発見された。しかし大部分は主として山東半島を経て朝鮮半島南部に到り、さらに2000年ないし3000年前、朝鮮半島南部からそこにいた新モンゴロイドと呼ばれる人々とともに北九州に到来した。これが弥生時代の始まりである。
当時の縄文人の骨に戦いによる傷がないことから縄文人は新しく到来した人々と争わず、徐々に交流して混血し、いわゆる弥生人となったと考えられる。到来した人々も朝鮮式の模様のない土器を使うのではなく、縄文式土器よりは単純であるが模様のある弥生式土器を使う。
大陸に強力な帝国が成立するようになり圧力を受けた人々が半島から吹きだまりの列島へ移住し、これ以上逃げられない列島では共存という生き方が選択された。弥生人は倭人と呼ばれたが、倭人は当然のこととして列島だけでなく半島南部にも多く居住していたので、近代国家のような国境という概念がない時代には、倭という地域がどの範囲であったかは明確ではない。とりわけ伽耶地方は倭との関係が深かったと考えられる。
中華帝国が強力な時には周辺の国々はその朝貢国となり、弱体化した時には独自の行動をとる。倭では後漢の時代の奴国(1世紀)、魏の時代に邪馬台国を盟主とした倭国(3世紀)、南朝の宋の時代のいわゆる倭の5王(5世紀)の倭国などが中華帝国と冊封関係を結び朝貢し、その首長は中華帝国の皇帝にその地位を王として認められた。なお中国の史書に倭の記述が無い4世紀のこととして倭が朝鮮半島に出兵し百済を支援して高句麗と戦って敗北したことが高句麗の広開土王の碑文に見える。敗北によって生じた高句麗の脅威が倭の5王の中国南朝への朝貢の理由とも考えられる。
邪馬台国の卑弥呼は中国の史書にのみ見られ、倭の歴史認識を示す「古事記」には記述がなく代わりに国譲りが記述されていることから、卑弥呼から5王の最後の武(雄略天皇と考えられている)までの間に内戦があり、倭国王は纒向遺跡の地を拠点とする出雲系勢力の王から河内古墳群の地を拠点とする勢力の王に王統が交代したと考えられる。しかし古事記では神武以来万世一系の王統を歴史認識として記すために卑弥呼の倭国は歴史から抹殺せざるを得なかったのであろう。
半島や大陸の出身者が進んだ技術を携えて移住してきた。彼らは渡来人といわれる。とりわけ優れた鉄を生産する伽耶地方との関係は深かった。倭の豪族たちはそれぞれに半島の国々と交流していたので豪族たちの政治力は半島の情勢を反映していた。雄略天皇の頃にはヤマト政権は半島南部の西に位置する百済と親交を結び東の新羅と対峙してその間にある伽耶地方の権益を守る政策をとる。雄略天皇の頃以後に朝鮮半島から到来した人々はそれ以前の人々と区別して今来の渡来人といわれる。
しかし雄略天皇の系統が断絶した後、遠隔の地にいた継体天皇が即位したため政権が強固になるための時間がかかる。これも実は王統の交代ではないかともいわれるが、日本の史書は継体を応神天皇5世の孫として万世一系の辻褄を合わせている。
この頃倭は百済に伽耶の地の一部支配を認める一方で新羅に対抗すべく出兵しようとするが、新羅と通じていた九州の磐井の抵抗に遭い、反乱は鎮圧するものの半島への出兵には失敗するようなこともあった。最終的には任那と称していた金官伽耶は新羅に奪われ、倭は半島での権益を失う。この後も倭の外交政策は百済と同盟して新羅に対抗するようになるが、やがて唐が中華帝国として強大になると半島では新羅が唐と結ぶ一方、高句麗や百済は唐と対抗するなど唐に対する対応が分かれた。
倭でも皇族や豪族たちの間に外交方針の差が見られたため、唐に対抗する強力な中央集権国家の建設の必要性を感じた中大兄皇子(後の天智天皇)は豪族たちの首領であった蘇我氏をクーデターで倒し、唐の制度をまねて天皇を頂点とする律令国家の建設をめざした。半島では、唐と組んだ新羅が高句麗を滅ぼし、最終的には百済も滅ぼして半島を統一する。その後の倭は百済の再興を試みるが、最終的に天智天皇は白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗北し、以後半島政策を放棄することになる。敗戦後の倭は唐の侵攻に備えるために朝鮮式の城を築くなど臨戦態勢をとるとともに天皇を中心とする中央集権的律令制度作りを急ぐ。律令制の法整備は天智天皇の死後の権力闘争に勝利した天武天皇の時代に整ったとされる。天武天皇がこの権力闘争の時に戦勝祈願をしたことから伊勢神宮が大和朝廷の守護神の地位を占めるようになったといわれる。
天武天皇は全国に通じる幅の広い高規格の直線的道路を建設し、全土の支配と集権化を進める。国家意識の確立のために古事記、日本書紀が編纂される。初めて倭国ではなく日本国の歴史が創られたのである。歴史認識上の「日本」という国の始まりである。その後、平安京に遷都した桓武天皇の頃までは蝦夷地などの支配を強化するため辺境での征服戦争が続けられる。これらは全て唐という大国の出現に対処するためのいわば非常時体制とも考えられる。やがて唐の脅威が減少してくると臨戦態勢は緩んでくる。中大兄皇子のクーデター(乙巳の変、いわゆる大化の改新)をもって「日本国」の成立とすれば、その歴史認識は強大な中華帝国の存在に強く影響されたものといえる。
日本はかろうじて独立を保ち、ミニ中華帝国を形成できたが、陸続きの国々はより厳しい状況におかれた。朝鮮半島の国々やベトナムは中華帝国と冊封関係を結んで朝貢国となり、いわば自治領化された。このような中華帝国の周辺国への扱いは近代の清朝の時代まで続く。中国が強国になれば、かつて朝貢国であった朝鮮や琉球やベトナムなどを勢力圏あるいは領土であると言い出すことは彼らの歴史認識からすれば自然なのであろう。
ユーラシア大陸側から日本列島を見るとアジアの辺境にはみ出した最果ての地であり、そこはアフリカから出て遍歴の途中で様々な変化を遂げた人々が、いろいろな方面から流れ着いた吹きだまりの地である。実際DNAによる研究でも日本列島には他の地域には例がないほど多種類の系統の人々が到来したことがうかがえるという。
後期旧石器時代の氷河で大陸と陸続きだった4万年ほど前、日本列島に到来したのは主に古モンゴロイドと呼ばれる人々である。やがて1万年ほど前に地球が温暖になって大陸と海で隔てられるようになると、新石器時代に入り縄文式土器を使い始める。
稲作は1万年ほど前に中国南部で始まったとされ、日本列島には縄文時代の終わりには伝わった。その一部は中国南部から直接海を渡って九州などに伝わったと見られる。実際九州などで熱帯性品種が伝来した痕跡が発見された。しかし大部分は主として山東半島を経て朝鮮半島南部に到り、さらに2000年ないし3000年前、朝鮮半島南部からそこにいた新モンゴロイドと呼ばれる人々とともに北九州に到来した。これが弥生時代の始まりである。
当時の縄文人の骨に戦いによる傷がないことから縄文人は新しく到来した人々と争わず、徐々に交流して混血し、いわゆる弥生人となったと考えられる。到来した人々も朝鮮式の模様のない土器を使うのではなく、縄文式土器よりは単純であるが模様のある弥生式土器を使う。
大陸に強力な帝国が成立するようになり圧力を受けた人々が半島から吹きだまりの列島へ移住し、これ以上逃げられない列島では共存という生き方が選択された。弥生人は倭人と呼ばれたが、倭人は当然のこととして列島だけでなく半島南部にも多く居住していたので、近代国家のような国境という概念がない時代には、倭という地域がどの範囲であったかは明確ではない。とりわけ伽耶地方は倭との関係が深かったと考えられる。
中華帝国が強力な時には周辺の国々はその朝貢国となり、弱体化した時には独自の行動をとる。倭では後漢の時代の奴国(1世紀)、魏の時代に邪馬台国を盟主とした倭国(3世紀)、南朝の宋の時代のいわゆる倭の5王(5世紀)の倭国などが中華帝国と冊封関係を結び朝貢し、その首長は中華帝国の皇帝にその地位を王として認められた。なお中国の史書に倭の記述が無い4世紀のこととして倭が朝鮮半島に出兵し百済を支援して高句麗と戦って敗北したことが高句麗の広開土王の碑文に見える。敗北によって生じた高句麗の脅威が倭の5王の中国南朝への朝貢の理由とも考えられる。
邪馬台国の卑弥呼は中国の史書にのみ見られ、倭の歴史認識を示す「古事記」には記述がなく代わりに国譲りが記述されていることから、卑弥呼から5王の最後の武(雄略天皇と考えられている)までの間に内戦があり、倭国王は纒向遺跡の地を拠点とする出雲系勢力の王から河内古墳群の地を拠点とする勢力の王に王統が交代したと考えられる。しかし古事記では神武以来万世一系の王統を歴史認識として記すために卑弥呼の倭国は歴史から抹殺せざるを得なかったのであろう。
半島や大陸の出身者が進んだ技術を携えて移住してきた。彼らは渡来人といわれる。とりわけ優れた鉄を生産する伽耶地方との関係は深かった。倭の豪族たちはそれぞれに半島の国々と交流していたので豪族たちの政治力は半島の情勢を反映していた。雄略天皇の頃にはヤマト政権は半島南部の西に位置する百済と親交を結び東の新羅と対峙してその間にある伽耶地方の権益を守る政策をとる。雄略天皇の頃以後に朝鮮半島から到来した人々はそれ以前の人々と区別して今来の渡来人といわれる。
しかし雄略天皇の系統が断絶した後、遠隔の地にいた継体天皇が即位したため政権が強固になるための時間がかかる。これも実は王統の交代ではないかともいわれるが、日本の史書は継体を応神天皇5世の孫として万世一系の辻褄を合わせている。
この頃倭は百済に伽耶の地の一部支配を認める一方で新羅に対抗すべく出兵しようとするが、新羅と通じていた九州の磐井の抵抗に遭い、反乱は鎮圧するものの半島への出兵には失敗するようなこともあった。最終的には任那と称していた金官伽耶は新羅に奪われ、倭は半島での権益を失う。この後も倭の外交政策は百済と同盟して新羅に対抗するようになるが、やがて唐が中華帝国として強大になると半島では新羅が唐と結ぶ一方、高句麗や百済は唐と対抗するなど唐に対する対応が分かれた。
倭でも皇族や豪族たちの間に外交方針の差が見られたため、唐に対抗する強力な中央集権国家の建設の必要性を感じた中大兄皇子(後の天智天皇)は豪族たちの首領であった蘇我氏をクーデターで倒し、唐の制度をまねて天皇を頂点とする律令国家の建設をめざした。半島では、唐と組んだ新羅が高句麗を滅ぼし、最終的には百済も滅ぼして半島を統一する。その後の倭は百済の再興を試みるが、最終的に天智天皇は白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗北し、以後半島政策を放棄することになる。敗戦後の倭は唐の侵攻に備えるために朝鮮式の城を築くなど臨戦態勢をとるとともに天皇を中心とする中央集権的律令制度作りを急ぐ。律令制の法整備は天智天皇の死後の権力闘争に勝利した天武天皇の時代に整ったとされる。天武天皇がこの権力闘争の時に戦勝祈願をしたことから伊勢神宮が大和朝廷の守護神の地位を占めるようになったといわれる。
天武天皇は全国に通じる幅の広い高規格の直線的道路を建設し、全土の支配と集権化を進める。国家意識の確立のために古事記、日本書紀が編纂される。初めて倭国ではなく日本国の歴史が創られたのである。歴史認識上の「日本」という国の始まりである。その後、平安京に遷都した桓武天皇の頃までは蝦夷地などの支配を強化するため辺境での征服戦争が続けられる。これらは全て唐という大国の出現に対処するためのいわば非常時体制とも考えられる。やがて唐の脅威が減少してくると臨戦態勢は緩んでくる。中大兄皇子のクーデター(乙巳の変、いわゆる大化の改新)をもって「日本国」の成立とすれば、その歴史認識は強大な中華帝国の存在に強く影響されたものといえる。
日本はかろうじて独立を保ち、ミニ中華帝国を形成できたが、陸続きの国々はより厳しい状況におかれた。朝鮮半島の国々やベトナムは中華帝国と冊封関係を結んで朝貢国となり、いわば自治領化された。このような中華帝国の周辺国への扱いは近代の清朝の時代まで続く。中国が強国になれば、かつて朝貢国であった朝鮮や琉球やベトナムなどを勢力圏あるいは領土であると言い出すことは彼らの歴史認識からすれば自然なのであろう。
参議院山口補選に見る民意とは? ― 2013年04月29日 21:34
参議院山口補選が4月28日に行われ、当選したのは前下関市長の自民党候補で、得票率は63.5%であった。次点の無所属候補は民主党政権時代の大臣経験者であるが先の衆議院選で落選し、無所属で立候補して幅広い支持を期待したが、得票率は28.6%であった。自民党の圧勝といってよいであろう。なお、3位の共産党候補は得票率5.7%、4位の諸派の候補は2.2%であった。
山口県は保守王国と言われ、安倍首相の地元県でもあり、安倍首相の高い人気から、早くから自民党候補が勝利することは確実だったためか、投票率は38.68%と非常に低かった。NHKの出口調査では安倍内閣を支持する人は85%であったという。得票率より高いのは何を意味するのだろうか。
今回自民党候補は、原発にもTPPにも触れず、ひたすら安倍首相をサポートする役割を強調したのが功を奏したのであろう。一方次点となった候補はTPPに対する問題点や脱原発を訴えたが空振りに終わった。
地域差について見ると、前下関市長であった自民党候補が地元である県の西部で圧倒的な票を獲得した一方、東部では元々東部を地盤としていた次点の候補が、負けはしたものの、善戦した。ただし、東部でも原発建設問題で揺れている上関町は、例外的に自民党候補が圧倒的な票数を得ている。地元の町民は原発の建設が進むことを望んでいると判断せざるを得ない。
多くの世論調査は国民の多くが脱原発を望んでいるという結果を示すが、地元の民意は建設賛成という現実を見ると、原発政策についてより具体的な姿を示さないと争点にならないのであろう。
山口県は保守王国と言われ、安倍首相の地元県でもあり、安倍首相の高い人気から、早くから自民党候補が勝利することは確実だったためか、投票率は38.68%と非常に低かった。NHKの出口調査では安倍内閣を支持する人は85%であったという。得票率より高いのは何を意味するのだろうか。
今回自民党候補は、原発にもTPPにも触れず、ひたすら安倍首相をサポートする役割を強調したのが功を奏したのであろう。一方次点となった候補はTPPに対する問題点や脱原発を訴えたが空振りに終わった。
地域差について見ると、前下関市長であった自民党候補が地元である県の西部で圧倒的な票を獲得した一方、東部では元々東部を地盤としていた次点の候補が、負けはしたものの、善戦した。ただし、東部でも原発建設問題で揺れている上関町は、例外的に自民党候補が圧倒的な票数を得ている。地元の町民は原発の建設が進むことを望んでいると判断せざるを得ない。
多くの世論調査は国民の多くが脱原発を望んでいるという結果を示すが、地元の民意は建設賛成という現実を見ると、原発政策についてより具体的な姿を示さないと争点にならないのであろう。
経済学は学問か? ― 2013年04月20日 22:30
数十年前には、株の売買を趣味にする人のために上場株の値動きを報道するラジオ番組はあったが、日経平均株価を毎時のニュースで報道するようなことはなかった。今では必ずニュース番組で東京とニューヨークの平均株価と為替レートが流される。それだけ多くの国民が経済に関心を持っているということか、投資をしているということであろう。そして経済学者というのか経済アナリストというのか知らないが、まことしやかに経済動向を解説する人種が番組に登場する。彼らを経済学者と呼ぶべきかどうか疑問だが、少なくとも一応経済学を身につけてものを言っている人たちであろう。しかし、その言うところは実にいい加減というか、当たるも八卦あたらぬも八卦といった感じで、とても学問的とはいいがたい。そもそも経済学は経済予測などできないもので事象が起こってから後付けで理屈を付けているだけであるように思われる。予測に関しては、物理学でいえば、プトレマイオスの天動説や占星術並みかそれ以前の段階である。とてもニュートンの段階ではない。
最近アベノミクスなどという経済学があるようであるが、サッチャリズムやレーガノミクスと同じで、実は経済というより政治そのものであるから、そこに経済学という学問の裏付けがあるなどと思うべきではない。政治は常に少数者による多数の支配であり、アベノミクスもまたそのための政策であるに違いない。その是非を論ずる経済学者アナリストもまた政治屋にすぎない。星占いを楽しむぐらいのつもりでその解説を聞いておくべきである。
最近アベノミクスなどという経済学があるようであるが、サッチャリズムやレーガノミクスと同じで、実は経済というより政治そのものであるから、そこに経済学という学問の裏付けがあるなどと思うべきではない。政治は常に少数者による多数の支配であり、アベノミクスもまたそのための政策であるに違いない。その是非を論ずる経済学者アナリストもまた政治屋にすぎない。星占いを楽しむぐらいのつもりでその解説を聞いておくべきである。
押し付けられた憲法とは? ― 2013年04月10日 11:32
現在の憲法は占領軍に押し付けられたものであるから変えようという議論がある。本当に押し付けられたかどうかに関する議論もあるが、ここでは押し付けられたとしておくことにしよう。
現憲法を、押しつけを排除した全く新しいものに変える場合に、現憲法の制定は手続き的には明治憲法を改正する手続きをとったのであるから、変える場合も改正という手続きによって、押し付けられたものとは全く異なる新しい憲法を制定するという考えと、押し付けられたものは無効だから廃棄して、新しく作ればよいという考えがある。後者の場合はどうやって発議するのであろうか。少数の実力者がクーデターを起こして憲法を停止するという方法はあるが、乱暴すぎて現実的ではない。しかし、前者の現憲法の改正という手続きでは、国会での3分の2の賛成という要件を満たすのがなかなか難しくて、手っ取り早く新憲法に変えられない。
そこで少数の実力者グループとしては憲法改正という形をとりつつクーデターに近いものとして、改正の要件を緩和する段階を経ることにする。すなわち国会での憲法改正の要件を3分の2から過半数でよいとすることにする。この時点がクーデター場合の憲法の停止にあたる。次に新憲法を認めさせ目的を達成する。
新憲法の制定ではなく、現憲法の一部改正を主張するグループにも、改正の動機として押し付けられたものだから自分たちのものに戻そうという意見がみられる。新憲法制定派と共通するのは押し付けられたものは悪いという考え方である。もちろん誰しも押し付けは嬉しくない。
しかし日本人は古来独自の日本文化を発展させて周囲に押し付けて来たのではなく、周囲の文化を受け入れあるいは押し付けられて日本文化を形成して来たのである。比較的長い縄文文化という独自性のある時代の後、弥生期には繰り返し、周辺から稲作文化を持った人々がやって来て、やがて縄文の人々は同化していった。部族間の争いも起こるようになるが、やがて天皇家の先祖を首領とする部族が日本列島の中央にやって来てそれ以前に勢力を持っていた部族を屈服させ大和朝廷を作る。このときも最大の反抗勢力は最後の戦いをさけ国譲りをしている。
弥生時代以降奈良時代までは周辺諸国の影響が非常に強い状況下で中国や朝鮮半島の文化を受け入れて来たのである。その後、平安時代と江戸時代のある期間、しばらく鎖国状態が続いたために、日本人のアイデンティティが形成されて、日本文化を持つようになったと考えられる。しかし、開国後、明治以降はまた、欧米列強のまねをして来たのであって、押し付けられたとか自主的だとか行っても、欧米の強い影響下で道を選ばされて来たのである。敗戦後は占領下であったために、しがらみや過去のいきさつに拘らずに選択できたというだけのことであろう。
したがって、この列島の歴史を考えれば、押し付けられたことを根拠に憲法を変える議論をする意味はない。本質的なことは、どう変えるかの内容の問題である。国会議員は国民を代表するとはいえ少数者であるのだから、クーデターを起こすような気持ちになってはならない。オープンな形で真摯に内容を議論して、国会でなるべく多数の同意を得た後に、国民の判断を仰ぐべきである。
現憲法を、押しつけを排除した全く新しいものに変える場合に、現憲法の制定は手続き的には明治憲法を改正する手続きをとったのであるから、変える場合も改正という手続きによって、押し付けられたものとは全く異なる新しい憲法を制定するという考えと、押し付けられたものは無効だから廃棄して、新しく作ればよいという考えがある。後者の場合はどうやって発議するのであろうか。少数の実力者がクーデターを起こして憲法を停止するという方法はあるが、乱暴すぎて現実的ではない。しかし、前者の現憲法の改正という手続きでは、国会での3分の2の賛成という要件を満たすのがなかなか難しくて、手っ取り早く新憲法に変えられない。
そこで少数の実力者グループとしては憲法改正という形をとりつつクーデターに近いものとして、改正の要件を緩和する段階を経ることにする。すなわち国会での憲法改正の要件を3分の2から過半数でよいとすることにする。この時点がクーデター場合の憲法の停止にあたる。次に新憲法を認めさせ目的を達成する。
新憲法の制定ではなく、現憲法の一部改正を主張するグループにも、改正の動機として押し付けられたものだから自分たちのものに戻そうという意見がみられる。新憲法制定派と共通するのは押し付けられたものは悪いという考え方である。もちろん誰しも押し付けは嬉しくない。
しかし日本人は古来独自の日本文化を発展させて周囲に押し付けて来たのではなく、周囲の文化を受け入れあるいは押し付けられて日本文化を形成して来たのである。比較的長い縄文文化という独自性のある時代の後、弥生期には繰り返し、周辺から稲作文化を持った人々がやって来て、やがて縄文の人々は同化していった。部族間の争いも起こるようになるが、やがて天皇家の先祖を首領とする部族が日本列島の中央にやって来てそれ以前に勢力を持っていた部族を屈服させ大和朝廷を作る。このときも最大の反抗勢力は最後の戦いをさけ国譲りをしている。
弥生時代以降奈良時代までは周辺諸国の影響が非常に強い状況下で中国や朝鮮半島の文化を受け入れて来たのである。その後、平安時代と江戸時代のある期間、しばらく鎖国状態が続いたために、日本人のアイデンティティが形成されて、日本文化を持つようになったと考えられる。しかし、開国後、明治以降はまた、欧米列強のまねをして来たのであって、押し付けられたとか自主的だとか行っても、欧米の強い影響下で道を選ばされて来たのである。敗戦後は占領下であったために、しがらみや過去のいきさつに拘らずに選択できたというだけのことであろう。
したがって、この列島の歴史を考えれば、押し付けられたことを根拠に憲法を変える議論をする意味はない。本質的なことは、どう変えるかの内容の問題である。国会議員は国民を代表するとはいえ少数者であるのだから、クーデターを起こすような気持ちになってはならない。オープンな形で真摯に内容を議論して、国会でなるべく多数の同意を得た後に、国民の判断を仰ぐべきである。
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