iPS細胞論文不正 ― 2018年01月24日 15:34
京大iPS細胞研究所で論文不正があったことが明らかになった。起こるべくして起こった感がある。
急激に成長する分野、競争の激しい分野では、不正行為は必ずといっていいほど起こると考えておく必要がある。山中所長をはじめ責任ある人達は当然そのことは想定して気をつけていたのであろうが、対策は万全とは行かなかったようである。ただ、iPS細胞研究所が置かれていた環境は対策を採ろうとしても相当に厳しいものであったように見受けられる。
世の中に市場原理主義がまかり通り、企業経営者達が、大学のマネジメントに対して会社ではこんなやり方は通用しないなどという批判をして、大学のマネジメントを営利会社のようにするのが良いという風潮を作ってきた。とりわけ法人化以後の大学は毎年運営交付金を削減され、人員も研究費も減少していった。研究費に関しては、いわゆる競争的資金を獲得することでそれを補うように仕向けられてきた。人員については、競争的経費を獲得できた研究室ではその経費で、その資金がある年度限りの任期付きのポストを作って、若手研究者を雇うようなった。米国等でも試験的任用した後、特に問題が無ければ任期なしのポストに移れるという採用の仕方はあるが、日本で現在はびこっているのはこれとは似て非なるもので、期限が来れば財源がなくなるので、当人に問題が有る無しに関わらず、失職することになる。
iPS細胞研究所は、大学が公表しているデータによると、約80億円の年間執行予算の内、9割が競争的資金や寄付などの外部からの資金によるもので、基盤的運営費は1割に満たないようである。他分野から見れば、iPSという日の当たる分野ならではの、羨ましいほどの外部資金を得ていることになるが、逆に言えば、それで任期付きの研究員を雇わなければ成り立たない研究所ということで、実際に職員の9割は任期付きのポストに就いているという。この状況で、将来に不安を抱く彼らが高い倫理観を持つことは、かなり困難であろう。
山中教授が高い使命感で、iPS細胞による医療の実用化を目指していることは疑うべくもないが、今の大学の置かれている環境では大規模な実用化研究は無理である。
ノーベル賞を受賞するまでの山中教授の研究は基礎研究であり、大学での研究にふさわしかった。しかし実用化研究レベルになると、理研など旧科学技術庁系の研究所あるいは厚労省の研究所で行い、さらに民間企業の研究へと移行すべきであろう。それにしても大学の基盤となる運営交付金の減少は、日の当たらない分野では、さらに深刻な状況になっている。政府は抜本的な制度改革を行う必要がある。文科省は大学に対して運営交付金は十分に確保して、そのうえで競争的経費を優れた研究者に配分するようにすべきである。
身分が安定して競争がないと、怠惰になる者が出てきて研究の生産性が落ちるリスクがある。身分が不安定な環境で競わせると、研究の生産性は上がるが、取り返しのつかない信用失墜が発生するリスクがある。どちらが良いのか。首は切らずに良い成果が得られた研究者に研究費をプラスするという資金の使い方にすべきではないか。
学問は生活のためにやるのではない代わりに好奇心が必要で、好奇心がある者が怠惰になるリスクは少ない。好奇心をなくす者もいるであろうが、そういう者を身分不安定な競争的環境に入れても学問をするとは限らず、邪なことを思いつくのみであろう。不祥事を起こすより何もしない方がましであるから、マネジメントとしては全体の歩留まりをほどよいところにおいて対処すべきか。
急激に成長する分野、競争の激しい分野では、不正行為は必ずといっていいほど起こると考えておく必要がある。山中所長をはじめ責任ある人達は当然そのことは想定して気をつけていたのであろうが、対策は万全とは行かなかったようである。ただ、iPS細胞研究所が置かれていた環境は対策を採ろうとしても相当に厳しいものであったように見受けられる。
世の中に市場原理主義がまかり通り、企業経営者達が、大学のマネジメントに対して会社ではこんなやり方は通用しないなどという批判をして、大学のマネジメントを営利会社のようにするのが良いという風潮を作ってきた。とりわけ法人化以後の大学は毎年運営交付金を削減され、人員も研究費も減少していった。研究費に関しては、いわゆる競争的資金を獲得することでそれを補うように仕向けられてきた。人員については、競争的経費を獲得できた研究室ではその経費で、その資金がある年度限りの任期付きのポストを作って、若手研究者を雇うようなった。米国等でも試験的任用した後、特に問題が無ければ任期なしのポストに移れるという採用の仕方はあるが、日本で現在はびこっているのはこれとは似て非なるもので、期限が来れば財源がなくなるので、当人に問題が有る無しに関わらず、失職することになる。
iPS細胞研究所は、大学が公表しているデータによると、約80億円の年間執行予算の内、9割が競争的資金や寄付などの外部からの資金によるもので、基盤的運営費は1割に満たないようである。他分野から見れば、iPSという日の当たる分野ならではの、羨ましいほどの外部資金を得ていることになるが、逆に言えば、それで任期付きの研究員を雇わなければ成り立たない研究所ということで、実際に職員の9割は任期付きのポストに就いているという。この状況で、将来に不安を抱く彼らが高い倫理観を持つことは、かなり困難であろう。
山中教授が高い使命感で、iPS細胞による医療の実用化を目指していることは疑うべくもないが、今の大学の置かれている環境では大規模な実用化研究は無理である。
ノーベル賞を受賞するまでの山中教授の研究は基礎研究であり、大学での研究にふさわしかった。しかし実用化研究レベルになると、理研など旧科学技術庁系の研究所あるいは厚労省の研究所で行い、さらに民間企業の研究へと移行すべきであろう。それにしても大学の基盤となる運営交付金の減少は、日の当たらない分野では、さらに深刻な状況になっている。政府は抜本的な制度改革を行う必要がある。文科省は大学に対して運営交付金は十分に確保して、そのうえで競争的経費を優れた研究者に配分するようにすべきである。
身分が安定して競争がないと、怠惰になる者が出てきて研究の生産性が落ちるリスクがある。身分が不安定な環境で競わせると、研究の生産性は上がるが、取り返しのつかない信用失墜が発生するリスクがある。どちらが良いのか。首は切らずに良い成果が得られた研究者に研究費をプラスするという資金の使い方にすべきではないか。
学問は生活のためにやるのではない代わりに好奇心が必要で、好奇心がある者が怠惰になるリスクは少ない。好奇心をなくす者もいるであろうが、そういう者を身分不安定な競争的環境に入れても学問をするとは限らず、邪なことを思いつくのみであろう。不祥事を起こすより何もしない方がましであるから、マネジメントとしては全体の歩留まりをほどよいところにおいて対処すべきか。
自由と民主—象徴天皇の在り方 ― 2017年07月04日 18:42
日本における、いわば「非文明」の時代であった、縄文式土器の時代は約1万年間続いた。この時代の人が精神的に安定していたのかどうかまではよくわからないが、自然と折り合って生きていたのであろう。やがて農耕文明の影響を受けた弥生式土器の時代になると、人々は文明生活にとって不都合な自然を克服しようとするようになる。集団社会を創り、周囲に外敵から守るための環濠を築くなどした中に住み、国の始まりが見られるようになる。そのリーダーは一般民とは別の特別の墓に埋葬されるようになる。「文明」の始まりは格差社会の始まりでもある。
こうして文明社会ができるが、「文明」が進んでも克服しきれない自然の力に遭遇し、これと折り合うことができず挫折すると、これに対処して心の安定を得るために神の助けを借り、宗教が生まれたのではないだろうか。さらに近代になって、科学技術が発達し自然の克服が進むと、神の必要性は減り、無神論者も現れてくる。
しかし所詮科学技術には限界があるので、近代人も宗教が捨てきれない。エーリッヒ・フロムは社会心理学的な観点から自由からの逃走を説いたが、自由に生きることを得ようとする文明人も神なしにいられないことを自覚せざるを得ないという現実が文明社会の根本にあるのではないだろうか。
神風なんか吹かないことが明白になった敗戦後の日本で、私は、これから人々はもっと科学的で合理的なものの考え方をするだろうから、神や仏を信じる人は減るのではないかと思った。しかし、どれだけ宗教心があるかどうかは分からないが、若い人達の間でも神社仏閣詣でが盛んである。それどころか明らかに非科学的な預言にさえのめり込む。
フロムは権威から自由になった人間が孤独と不安から逆に絶対的な権威を求め自由を捨てるというが、この循環をフロムがいうように愛とか創造的仕事とかだけで本当に解決できるだろうか。むしろ神を必要とする人が多数なのだと諦観して、人の数だけある様々な神と折り合って生きる知恵を持つべきではないだろうか。
フロムは自由な社会であったはずのワイマール共和国で人々がヒトラーのファシズムへと逃走したと論ずるが、日本には天皇という権威がある。律令国家を創った天智・天武の頃の天皇は政治的な絶対権力者であったが、やがて貴族が政治権力を握り、幼少な天皇でも務まるようになる。さらに武士が武力を背景に政治権力を握るようになると、天皇はいっそう権力から遠ざかり、文化的な権威になっていく。決定的だったのは承久の変で、権力を武士から奪取しようとした後鳥羽上皇が敗北し、政治的権力は剥奪されてしまう。このため後醍醐天皇の一時期を例外として、天皇は政治権力から敵対されることは無く、天皇家が滅ぶことを免れた。
明治維新政府は天皇を政治利用するが、天皇の独裁が認められたわけではなく、元老達が権力を握っていた。伊藤博文が皇太子に生まれることは最大の不幸であるといったのは、その間の実情を物語るものであろう。ワイマールからヒトラーのファシズムになるのと呼応するように、大正デモクラシーから昭和になると神聖化された天皇の統帥権を振りかざした軍部が独走して戦争に突き進むが、破綻して敗戦を迎える。天皇は再び人となり、政治権力から離れて国民の象徴となる。
キリスト教世界では法皇や教会のような宗教的権威が残っているが、日本にはそのような宗教的権威はない。しかし、自由で民主的な国になった日本の人々にとって、象徴天皇制は一種の神というか宗教的権威なのかもしれないとも思う。
とりわけ現在の社会状況は自由で民主的であるはずの社会の矛盾が続出し、何か全ての人々が納得する権力か権威を求めているのではないかと思われ、ヒトラーのような絶対的権力は望まない人々が、象徴としての天皇の存在をより意識するようになったのではないか。だとすると、敗戦直後に天皇の政治権力を剥奪するために象徴天皇としたという事情とは別に、今の時代の象徴天皇というものの意義をよく考えるべきであろう。おそらく敗戦後に皇太子となった今上天皇は誰よりも自分のこととして、象徴天皇の在り方を考え続けてきたのであろうと推察されるので、その考えを尊重しつつ、国民一人一人が象徴天皇像を構築していかなければならない。
こうして文明社会ができるが、「文明」が進んでも克服しきれない自然の力に遭遇し、これと折り合うことができず挫折すると、これに対処して心の安定を得るために神の助けを借り、宗教が生まれたのではないだろうか。さらに近代になって、科学技術が発達し自然の克服が進むと、神の必要性は減り、無神論者も現れてくる。
しかし所詮科学技術には限界があるので、近代人も宗教が捨てきれない。エーリッヒ・フロムは社会心理学的な観点から自由からの逃走を説いたが、自由に生きることを得ようとする文明人も神なしにいられないことを自覚せざるを得ないという現実が文明社会の根本にあるのではないだろうか。
神風なんか吹かないことが明白になった敗戦後の日本で、私は、これから人々はもっと科学的で合理的なものの考え方をするだろうから、神や仏を信じる人は減るのではないかと思った。しかし、どれだけ宗教心があるかどうかは分からないが、若い人達の間でも神社仏閣詣でが盛んである。それどころか明らかに非科学的な預言にさえのめり込む。
フロムは権威から自由になった人間が孤独と不安から逆に絶対的な権威を求め自由を捨てるというが、この循環をフロムがいうように愛とか創造的仕事とかだけで本当に解決できるだろうか。むしろ神を必要とする人が多数なのだと諦観して、人の数だけある様々な神と折り合って生きる知恵を持つべきではないだろうか。
フロムは自由な社会であったはずのワイマール共和国で人々がヒトラーのファシズムへと逃走したと論ずるが、日本には天皇という権威がある。律令国家を創った天智・天武の頃の天皇は政治的な絶対権力者であったが、やがて貴族が政治権力を握り、幼少な天皇でも務まるようになる。さらに武士が武力を背景に政治権力を握るようになると、天皇はいっそう権力から遠ざかり、文化的な権威になっていく。決定的だったのは承久の変で、権力を武士から奪取しようとした後鳥羽上皇が敗北し、政治的権力は剥奪されてしまう。このため後醍醐天皇の一時期を例外として、天皇は政治権力から敵対されることは無く、天皇家が滅ぶことを免れた。
明治維新政府は天皇を政治利用するが、天皇の独裁が認められたわけではなく、元老達が権力を握っていた。伊藤博文が皇太子に生まれることは最大の不幸であるといったのは、その間の実情を物語るものであろう。ワイマールからヒトラーのファシズムになるのと呼応するように、大正デモクラシーから昭和になると神聖化された天皇の統帥権を振りかざした軍部が独走して戦争に突き進むが、破綻して敗戦を迎える。天皇は再び人となり、政治権力から離れて国民の象徴となる。
キリスト教世界では法皇や教会のような宗教的権威が残っているが、日本にはそのような宗教的権威はない。しかし、自由で民主的な国になった日本の人々にとって、象徴天皇制は一種の神というか宗教的権威なのかもしれないとも思う。
とりわけ現在の社会状況は自由で民主的であるはずの社会の矛盾が続出し、何か全ての人々が納得する権力か権威を求めているのではないかと思われ、ヒトラーのような絶対的権力は望まない人々が、象徴としての天皇の存在をより意識するようになったのではないか。だとすると、敗戦直後に天皇の政治権力を剥奪するために象徴天皇としたという事情とは別に、今の時代の象徴天皇というものの意義をよく考えるべきであろう。おそらく敗戦後に皇太子となった今上天皇は誰よりも自分のこととして、象徴天皇の在り方を考え続けてきたのであろうと推察されるので、その考えを尊重しつつ、国民一人一人が象徴天皇像を構築していかなければならない。
原子力の意味するものと今後の原子力は? ― 2017年03月05日 21:55
福島の原発事故や高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉などにより、今後の原子力の在り方について多くの関心が集まっており、原子力委員会でも「原子力利用に関する基本的考え方」の議論が行われている。しかしそこで使われる原子力という言葉の意味するものが議論する人によって一致しているとはいえない。
1.初期の原子力の意味
かつて全国共同利用研究所として東京大学原子核研究所(核研)が田無町(現西東京市)に建設されることになったときに、田無町の不安に応えて、対応に当たった朝永振一郎は研究所の目的が原子核物理学の基礎研究であって、原子力の研究は決して行わないという、決意を表明している。1954年(昭和29年)当時のことである。ここでの原子力は原子爆弾等を指しているのであろう。これには以下のような時代背景がある。
戦後いわゆる原子力の研究開発を始めようという気運が起こったときに、学者の間では原爆研究につながるという懸念から反対論が強く、日本学術会議でもなかなか方針が決まらなかった。そのような中で、アイゼンハワー大統領の国連演説(1953年12月8日国連総会におけるAtoms for Peace演説)を受けて、いち早く動いた中曽根康弘らの政治家が1954年3月議員立法による補正予算でいわゆる原子力予算を認めさせた。その後を追って1955年12月原子力基本法、原子力委員会設置法などができ、翌年1月科学技術庁が設置され、その後、原子力研究所(原研)などが設立されていった。このとき学者たちの要望も取り入れて、原子力の利用は平和目的に限ることと、民主、自主、公開のいわゆる3原則が原子力基本法に盛り込まれた。
しかし同時に、当時の東京大学の総長で国立大学協会(国大協)の会長であった矢内原忠雄が原子力関係法の規制から大学を除くことを求めたため(いわゆる矢内原原則)、原子力委員会設置法の法案採決の際に「原子力委員会が企画・審議・決定する関係行政機関の原子力利用に関する経費には大学における研究経費は含まないものとする」という附帯決議がなされた。矢内原は政治家の間に核研を原子力予算で運営するという動きがあったことを懸念したともいわれている。
これは大学の自治の問題であり、大学が独自に原子力研究を行うことを妨げるものではない。実際、科学技術庁は原子力予算で原研に原子炉設置していくが、他方、科学技術庁の原子力予算とは別に、文部省は京都大学に研究用原子炉を建設し、有力大学の工学部に原子力関係学科を設置することを認めるなど、原子力研究を推進していく。
ただし、全体的な日本の原子力政策は、科学技術庁長官が委員長となる原子力委員会において長期計画として策定される仕組みになったので、予算は別であるが大学の原子力研究者も原子力委員会の方針にそって研究するようになる。なお、その後の機構改革によって、現在の原子力委員会は文部科学省から独立し長期計画・大綱を立てる機能も持っていない。
原子力基本法では、「原子力」とは原子核変換の過程において原子核から放出される全ての種類のエネルギーをいう、と定義されている。この定義では加速器で発生する放射線は「原子力」ではないが、いわゆる原子力業界の人たちは、定義にある核エネルギーの代表的な利用法である原子力発電(原発)や放射性同位元素による放射線利用などだけではなく、加速器等の放射線発生装置による光子や粒子ビーム等の利用も放射線利用ということで、原子力の利用であるとしている。なお、このいわゆる日本の原子力の経済規模は、福島の事故以前の調査結果では、約10兆円規模で、原発と放射線利用が半分程度ずつであった。このように日本の原子力関係者の間では原子力が意味するものに核兵器は入っていない。しかし、一般の人たちの実感としては原子力といえば核兵器と原子炉をイメージすることが多く、医学利用などの放射線利用は原子力と意識されないことが多い。
というのも、そもそも原子力が実用化された最初のものが、核分裂反応で発生するエネルギーの利用が原子爆弾(原爆)であり、核融合反応で発生するエネルギーの利用が水素爆弾(水爆)であった。広島、長崎への原爆投下と水爆実験による第五福竜丸の被曝は原子力の怖さを日本人に印象づけていた。それ故、原子力利用を始めるにあたって学者達が懸念したのが核兵器の問題であったのは当然である。特に第五福竜丸の被爆は1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による被曝であり、日本の原子力利用開始の議論の時期と重なっていた。
2.平和利用という名の原子力発電の始まり
原子力発電に関しては、ソ連が1954年6月にオブニンスクの原子力発電所で世界初の実用原子力発電を開始した。実はアメリカでは多くの型式の原子炉が研究されていたのであるが、ソ連に後れを取ったアメリカは急いで発電用原子炉を開発するため、既に原子力潜水艦に使われていた軽水炉を使って民生用の発電炉を開発した。1957年12月に運転開始されたシッピングポートの原発(加圧水型軽水炉)が米国初の商業原子力発電であった。これがその後、アメリカや日本で軽水炉が多く使われることになった理由のひとつである。
第五福竜丸後に起こった原子力に批判的な世論の高まりを懸念した米国は1955年11月に読売新聞社(正力松太郎社長)と共同で東京日比谷公園において原子力平和利用博覧会開催し、1ヶ月半で36万人余りの入場者を集めた。その後、原子力平和利用博覧会は米国大使館と地方新聞社の共催の形で全国展開していった。これにより日本の反原子力の世論が弱くなっていったと、米国CIAはその成果を評価していたことが最近明らかになっている。原子力平和利用博覧会によるキャンペーン以後、正力は自ら政界入りして原子力委員会委員長・科学技術庁長官となり、日本の原発開発を政府主導で強力に進めた。
このため日本では自国の核兵器開発への懸念が薄れ、核兵器反対はもっぱら外国の核大国に向けられたものとなった。
3.原発の採算性
そもそも日本が原子力発電を開始するにあたって原子力産業会議で大事故が起こったときの損害賠償費用を算定したところ、当時の国家予算規模になることが分かり、電力会社が原発開発に尻込みしたのを、万一の場合は国が支えるということで、無理に推進した経緯がある。まして福島の事故の現実を目の当たりにして、電力会社はあらためて実際に事故が起これば会社の破綻になるような大事故になる場合には確率論的リスク評価で採算性を議論しても意味がないことを自覚させられたであろう。
したがって、賢い電力会社は、とりあえず暫くは事故がないことに賭けて、なるべく既に減価償却が済んでいるような既存の原発をギリギリまで使い切って儲けた後で、原子力から手を引くであろう。あるいは、政府が全面的に支えて、企業側としては採算性がとれるようにする、と考える場合は、今後も原発を建設するであろう。
4.核抑止力としての原発
日本では原子力は平和利用の原発しかあり得ないと原子力関係者は無邪気に思っているが、政治家達は原子力の兵器への利用を忘れたわけではない。実際、1964年東京オリンピックの開催中の中国初の核実験直後に、佐藤栄作首相が水面下で米国に日本の核武装論を説き、それを取り下げる代わりに米国の核の傘を保証させたといわれる。福島の事故後、反原発の声が大きくなったときにも、政治家の間で核抑止力のために原発の稼働を続け、潜在的な核兵器開発の技術を維持すべきであるという意見があった。
しかし、原発は核兵器そのものではないのだから、核兵器を作る時には、そのためにある程度の時間が必要になり、そう考えるとわざわざ原発を維持しなくても、最先端科学の基盤技術があれば、必要になったときに開発するとしても余り差はないであろう。したがって核抑止力のために原発を維持することは不経済である。
5.核抑止力としての今後の原子力政策
政治家達がこのことに気がつけば、リスクが大きい原発を維持する動機はなくなる。核抑止力を持ちたければ核兵器開発に直接結びつく研究開発に予算を付ける方が良いにきまっているから、今後本音の議論がなされるような雰囲気になれば、政府も原発推進にこだわらなくなるかも知れない。
佐藤栄作の時代には日本の核武装に反対した米国も同盟国の防衛費の増強を求めるトランプ大統領の時代には日本の核兵器開発を容認するかもしれない。容認しなくても増額した防衛費の一部を大学等の研究機関に大盤振る舞いして核抑止力の維持に有用な研究を支援するということは十分あり得ることである。既に防衛予算による大学への補助金の増額は始まっている。一方で文科省が大学に出す予算は財務省によって減額され続けているので、どういう事態が起こるかは火を見るより明らかである。
6.今後の原子力の在り方
上記の検討に基づき、今後の原子力の在り方について、結論だけ述べると、
・ 既存の原発はなるべく早く廃炉にする。40年を過ぎた原発の運転延長は認めない。
・ 建設中ないし計画中の原発は、取りあえず建設・計画を中止する。
・ プルトニウムを利用する燃料サイクルは中止し、これまでに蓄積したプルトニウムと使用済み燃料の処分法の研究は続ける。
・ 大学・研究機関では、革新的に安全な原子炉の開発研究や、核兵器に利用されにくい燃料サイクルの研究開発を行う。
・ 2030年頃に研究開発の進捗状況を世論の判断材料として示し、その時点で改めて開発された革新的な原発を利用するかどうかを判断する。
これが電力会社の本音にもそい、国民の不安に応えるべく原子力人材を確保して、政府を含めた原子力関係者が果たすべき責任である。
1.初期の原子力の意味
かつて全国共同利用研究所として東京大学原子核研究所(核研)が田無町(現西東京市)に建設されることになったときに、田無町の不安に応えて、対応に当たった朝永振一郎は研究所の目的が原子核物理学の基礎研究であって、原子力の研究は決して行わないという、決意を表明している。1954年(昭和29年)当時のことである。ここでの原子力は原子爆弾等を指しているのであろう。これには以下のような時代背景がある。
戦後いわゆる原子力の研究開発を始めようという気運が起こったときに、学者の間では原爆研究につながるという懸念から反対論が強く、日本学術会議でもなかなか方針が決まらなかった。そのような中で、アイゼンハワー大統領の国連演説(1953年12月8日国連総会におけるAtoms for Peace演説)を受けて、いち早く動いた中曽根康弘らの政治家が1954年3月議員立法による補正予算でいわゆる原子力予算を認めさせた。その後を追って1955年12月原子力基本法、原子力委員会設置法などができ、翌年1月科学技術庁が設置され、その後、原子力研究所(原研)などが設立されていった。このとき学者たちの要望も取り入れて、原子力の利用は平和目的に限ることと、民主、自主、公開のいわゆる3原則が原子力基本法に盛り込まれた。
しかし同時に、当時の東京大学の総長で国立大学協会(国大協)の会長であった矢内原忠雄が原子力関係法の規制から大学を除くことを求めたため(いわゆる矢内原原則)、原子力委員会設置法の法案採決の際に「原子力委員会が企画・審議・決定する関係行政機関の原子力利用に関する経費には大学における研究経費は含まないものとする」という附帯決議がなされた。矢内原は政治家の間に核研を原子力予算で運営するという動きがあったことを懸念したともいわれている。
これは大学の自治の問題であり、大学が独自に原子力研究を行うことを妨げるものではない。実際、科学技術庁は原子力予算で原研に原子炉設置していくが、他方、科学技術庁の原子力予算とは別に、文部省は京都大学に研究用原子炉を建設し、有力大学の工学部に原子力関係学科を設置することを認めるなど、原子力研究を推進していく。
ただし、全体的な日本の原子力政策は、科学技術庁長官が委員長となる原子力委員会において長期計画として策定される仕組みになったので、予算は別であるが大学の原子力研究者も原子力委員会の方針にそって研究するようになる。なお、その後の機構改革によって、現在の原子力委員会は文部科学省から独立し長期計画・大綱を立てる機能も持っていない。
原子力基本法では、「原子力」とは原子核変換の過程において原子核から放出される全ての種類のエネルギーをいう、と定義されている。この定義では加速器で発生する放射線は「原子力」ではないが、いわゆる原子力業界の人たちは、定義にある核エネルギーの代表的な利用法である原子力発電(原発)や放射性同位元素による放射線利用などだけではなく、加速器等の放射線発生装置による光子や粒子ビーム等の利用も放射線利用ということで、原子力の利用であるとしている。なお、このいわゆる日本の原子力の経済規模は、福島の事故以前の調査結果では、約10兆円規模で、原発と放射線利用が半分程度ずつであった。このように日本の原子力関係者の間では原子力が意味するものに核兵器は入っていない。しかし、一般の人たちの実感としては原子力といえば核兵器と原子炉をイメージすることが多く、医学利用などの放射線利用は原子力と意識されないことが多い。
というのも、そもそも原子力が実用化された最初のものが、核分裂反応で発生するエネルギーの利用が原子爆弾(原爆)であり、核融合反応で発生するエネルギーの利用が水素爆弾(水爆)であった。広島、長崎への原爆投下と水爆実験による第五福竜丸の被曝は原子力の怖さを日本人に印象づけていた。それ故、原子力利用を始めるにあたって学者達が懸念したのが核兵器の問題であったのは当然である。特に第五福竜丸の被爆は1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による被曝であり、日本の原子力利用開始の議論の時期と重なっていた。
2.平和利用という名の原子力発電の始まり
原子力発電に関しては、ソ連が1954年6月にオブニンスクの原子力発電所で世界初の実用原子力発電を開始した。実はアメリカでは多くの型式の原子炉が研究されていたのであるが、ソ連に後れを取ったアメリカは急いで発電用原子炉を開発するため、既に原子力潜水艦に使われていた軽水炉を使って民生用の発電炉を開発した。1957年12月に運転開始されたシッピングポートの原発(加圧水型軽水炉)が米国初の商業原子力発電であった。これがその後、アメリカや日本で軽水炉が多く使われることになった理由のひとつである。
第五福竜丸後に起こった原子力に批判的な世論の高まりを懸念した米国は1955年11月に読売新聞社(正力松太郎社長)と共同で東京日比谷公園において原子力平和利用博覧会開催し、1ヶ月半で36万人余りの入場者を集めた。その後、原子力平和利用博覧会は米国大使館と地方新聞社の共催の形で全国展開していった。これにより日本の反原子力の世論が弱くなっていったと、米国CIAはその成果を評価していたことが最近明らかになっている。原子力平和利用博覧会によるキャンペーン以後、正力は自ら政界入りして原子力委員会委員長・科学技術庁長官となり、日本の原発開発を政府主導で強力に進めた。
このため日本では自国の核兵器開発への懸念が薄れ、核兵器反対はもっぱら外国の核大国に向けられたものとなった。
3.原発の採算性
そもそも日本が原子力発電を開始するにあたって原子力産業会議で大事故が起こったときの損害賠償費用を算定したところ、当時の国家予算規模になることが分かり、電力会社が原発開発に尻込みしたのを、万一の場合は国が支えるということで、無理に推進した経緯がある。まして福島の事故の現実を目の当たりにして、電力会社はあらためて実際に事故が起これば会社の破綻になるような大事故になる場合には確率論的リスク評価で採算性を議論しても意味がないことを自覚させられたであろう。
したがって、賢い電力会社は、とりあえず暫くは事故がないことに賭けて、なるべく既に減価償却が済んでいるような既存の原発をギリギリまで使い切って儲けた後で、原子力から手を引くであろう。あるいは、政府が全面的に支えて、企業側としては採算性がとれるようにする、と考える場合は、今後も原発を建設するであろう。
4.核抑止力としての原発
日本では原子力は平和利用の原発しかあり得ないと原子力関係者は無邪気に思っているが、政治家達は原子力の兵器への利用を忘れたわけではない。実際、1964年東京オリンピックの開催中の中国初の核実験直後に、佐藤栄作首相が水面下で米国に日本の核武装論を説き、それを取り下げる代わりに米国の核の傘を保証させたといわれる。福島の事故後、反原発の声が大きくなったときにも、政治家の間で核抑止力のために原発の稼働を続け、潜在的な核兵器開発の技術を維持すべきであるという意見があった。
しかし、原発は核兵器そのものではないのだから、核兵器を作る時には、そのためにある程度の時間が必要になり、そう考えるとわざわざ原発を維持しなくても、最先端科学の基盤技術があれば、必要になったときに開発するとしても余り差はないであろう。したがって核抑止力のために原発を維持することは不経済である。
5.核抑止力としての今後の原子力政策
政治家達がこのことに気がつけば、リスクが大きい原発を維持する動機はなくなる。核抑止力を持ちたければ核兵器開発に直接結びつく研究開発に予算を付ける方が良いにきまっているから、今後本音の議論がなされるような雰囲気になれば、政府も原発推進にこだわらなくなるかも知れない。
佐藤栄作の時代には日本の核武装に反対した米国も同盟国の防衛費の増強を求めるトランプ大統領の時代には日本の核兵器開発を容認するかもしれない。容認しなくても増額した防衛費の一部を大学等の研究機関に大盤振る舞いして核抑止力の維持に有用な研究を支援するということは十分あり得ることである。既に防衛予算による大学への補助金の増額は始まっている。一方で文科省が大学に出す予算は財務省によって減額され続けているので、どういう事態が起こるかは火を見るより明らかである。
6.今後の原子力の在り方
上記の検討に基づき、今後の原子力の在り方について、結論だけ述べると、
・ 既存の原発はなるべく早く廃炉にする。40年を過ぎた原発の運転延長は認めない。
・ 建設中ないし計画中の原発は、取りあえず建設・計画を中止する。
・ プルトニウムを利用する燃料サイクルは中止し、これまでに蓄積したプルトニウムと使用済み燃料の処分法の研究は続ける。
・ 大学・研究機関では、革新的に安全な原子炉の開発研究や、核兵器に利用されにくい燃料サイクルの研究開発を行う。
・ 2030年頃に研究開発の進捗状況を世論の判断材料として示し、その時点で改めて開発された革新的な原発を利用するかどうかを判断する。
これが電力会社の本音にもそい、国民の不安に応えるべく原子力人材を確保して、政府を含めた原子力関係者が果たすべき責任である。
「もんじゅ」廃炉の先は? ― 2016年09月28日 17:12
政府は「もんじゅ」を廃炉するが、核燃料サイクルは維持し、今後の高速炉開発は経産省主導で行うことを決めたようである。これまでも「もんじゅ」は動いてなかったし、これから動かすにも時間も金もかかることを考えると、「廃炉」という言葉を使うかどうかは別として実質的に「もんじゅ」は死んでいるも同然だから、実態として原子力政策は何も変わらず、今回起こったことは文科省が経産省に主導権を奪われただけのことである。
今回の決定で「もんじゅ」が廃炉になれば核燃料サイクルが破綻するという意見もある。しかし、核燃料サイクルのもうひとつの要である六ヶ所村の再処理工場の方も、「もんじゅ」よりはるかに巨額の金をかけても、トラブル続きで工期の延長を繰り返しており、まだ完成していない。こんな状態だから高速炉開発が遅れたり追加予算が必要になったりする程度では燃料サイクルの政策を変えるほどのことではないというのが政府の認識かもしれない。
またロードマップ的に、実験炉「常陽」、原型炉「もんじゅ」、その次の実証炉と段階を踏むのだから、「もんじゅ」なしに「常陽」で実験しても実証炉の設計の役に立たないとか、「もんじゅ」の段階で失敗したのだから実証炉には行けないのだとかいう意見もあるが、実は原子力の関係者がよく使う言葉である「ロードマップ」なるものの実態はいい加減なものである。「もんじゅ」を設計するときに「常陽」の経験を継承していたとは思えない。「もんじゅ」は「常陽」とは別々にメーカーが設計して、設計ミスを犯している。本来なら旧動燃の技術者が設計してメーカーに図面を渡して製作するべきで、そうすれば技術は発注側で継承されていくが、旧動燃は仕様書だけ書いて、実際の設計・製作はメーカーに丸投げし、その図面のチェックもする能力がなかったといわざるを得ない。でなければ「もんじゅ」であのようなおそまつな設計ミスをするはずがない。つまり「もんじゅ」があろうとなかろうと次は実証炉を作るというのが彼らの体質であるから、「もんじゅ」が廃炉になっても路線が変わらないというのは彼ら的には不思議なことではないのである。
いっぽう、核燃料サイクルを止めれば貯まり続ける使用済み燃料を原発の敷地から六ヶ所村へ運び出せなくなるし、貯まっているプルトニウムの処分にも困る。現在の原発を運転するためにも核燃料サイクルを止めるとはいえないのである。いやむしろこれこそが本音で、電力会社としては原発の新規建設では採算が取れないから、現在の軽水炉の寿命が尽きるまでできるだけ長く既存の原発を動かして、その後は原子力から撤退する気であるが、それまでは政府には核燃料サイクルを止めないと言っておいてほしいというだけのことかもしれない。
こんな官庁の主導権争いや電力会社の金勘定からその場しのぎの方針を決めていいのであろうか。もっと根本的に原子力について方針を検討すべきであろう。
まず、今後も原子力を発電に使うかどうかが問題である。これは国民の判断によるべきで、専門家は国民の判断に必要なデータを示す必要がある。
次ぎに原発をやめるにせよ続けるにせよ、既に貯まった使用済み燃料をどう処理処分するかの問題がある。
今後も原発を使う場合には、燃料サイクルをウラン・プルトニウムではなく、トリウムサイクルにすべきである。トリウムは使用済み燃料中に現在のウラン燃料の場合のようにプルトニウムやマイナーアクチノイドなどの長寿命の放射性物質が生じにくいので使用済み燃料の処分問題が格段に楽になる。なお、トリウムはそのままでは核分裂しないが、中性子を吸収することでウラン233という、現在原発で使われている燃料のウラン235より軽い核分裂性のウランができるので、これを利用する。これを作るとき同時にウラン232も混在してできるがこれは崩壊して行く過程で強いガンマ線を出すので、トリウムからできるウランは、放射線の遮蔽がなされている発電施設では取り扱えても、核兵器の材料としてはプルトニウムに比べて取り扱いにくく不向きである。既存の原発の寿命が来たら原子力発電をやめるのであれば、トリウムサイクルの開発をする必要はないが、数十年以上原子力発電を続けるのであればトリウムサイクルを開発する時間はある。
高速炉の研究をする場合には、フランスの高速炉ASTRIDの開発に協力することに反対ではないが、これはあくまで国際共同研究であって、高速炉を作るのであれば日本独自の開発計画をもつ必要がある。中断しているFACTを再開するのも良いと思うが、より積極的にはトリウム炉の研究開発を採り入れるべきである。
使用済み燃料の処理処分については、これまで「もんじゅ」をそのために使うということにしてきたが、それは「もんじゅ」を廃炉にしないための方便のようなこじつけで、「もんじゅ」である必要はない。今回の決定では、そのためには別の高速炉で研究をするというような説明がなされているが、語るに落ちたという感じである。
そもそも使用済み燃料の処理処分はまだ基礎研究の段階である。その研究用装置としては、臨界状態で動かす必要がある原子炉よりも、未臨界から臨界まで様々な条件で試験ができる加速器駆動システム(ADS)の方が有利である。処理処分の実用機ということではなく、そのような試験研究装置として、「もんじゅ」の敷地と建物等を可能な限り利用して、ADSの建設をすることをすすめるべきである。
ADSの予備的実験は京都大学原子炉実験所でなされており、より本格的な要素技術開発研究が日本原子力研究開発機構でJ-PARCを利用して行われているので、「もんじゅ」関係の研究者とともにこれらの研究者を結集して本格的なシステムの実現を図ることはできるであろう。
地元は「もんじゅ」が廃炉になることに不満だといわれるが、いつまた事故を起こすかもしれない「もんじゅ」にこだわっているのではなく、研究拠点の存続を求めているのだと察する。そのためにも今後原子力発電を続けるにせよやめるにせよ必要な試験研究用装置である加速器駆動システム(ADS)を敦賀に建設するのが、地元の期待に応える最も良い方法であろう。
今回の決定で「もんじゅ」が廃炉になれば核燃料サイクルが破綻するという意見もある。しかし、核燃料サイクルのもうひとつの要である六ヶ所村の再処理工場の方も、「もんじゅ」よりはるかに巨額の金をかけても、トラブル続きで工期の延長を繰り返しており、まだ完成していない。こんな状態だから高速炉開発が遅れたり追加予算が必要になったりする程度では燃料サイクルの政策を変えるほどのことではないというのが政府の認識かもしれない。
またロードマップ的に、実験炉「常陽」、原型炉「もんじゅ」、その次の実証炉と段階を踏むのだから、「もんじゅ」なしに「常陽」で実験しても実証炉の設計の役に立たないとか、「もんじゅ」の段階で失敗したのだから実証炉には行けないのだとかいう意見もあるが、実は原子力の関係者がよく使う言葉である「ロードマップ」なるものの実態はいい加減なものである。「もんじゅ」を設計するときに「常陽」の経験を継承していたとは思えない。「もんじゅ」は「常陽」とは別々にメーカーが設計して、設計ミスを犯している。本来なら旧動燃の技術者が設計してメーカーに図面を渡して製作するべきで、そうすれば技術は発注側で継承されていくが、旧動燃は仕様書だけ書いて、実際の設計・製作はメーカーに丸投げし、その図面のチェックもする能力がなかったといわざるを得ない。でなければ「もんじゅ」であのようなおそまつな設計ミスをするはずがない。つまり「もんじゅ」があろうとなかろうと次は実証炉を作るというのが彼らの体質であるから、「もんじゅ」が廃炉になっても路線が変わらないというのは彼ら的には不思議なことではないのである。
いっぽう、核燃料サイクルを止めれば貯まり続ける使用済み燃料を原発の敷地から六ヶ所村へ運び出せなくなるし、貯まっているプルトニウムの処分にも困る。現在の原発を運転するためにも核燃料サイクルを止めるとはいえないのである。いやむしろこれこそが本音で、電力会社としては原発の新規建設では採算が取れないから、現在の軽水炉の寿命が尽きるまでできるだけ長く既存の原発を動かして、その後は原子力から撤退する気であるが、それまでは政府には核燃料サイクルを止めないと言っておいてほしいというだけのことかもしれない。
こんな官庁の主導権争いや電力会社の金勘定からその場しのぎの方針を決めていいのであろうか。もっと根本的に原子力について方針を検討すべきであろう。
まず、今後も原子力を発電に使うかどうかが問題である。これは国民の判断によるべきで、専門家は国民の判断に必要なデータを示す必要がある。
次ぎに原発をやめるにせよ続けるにせよ、既に貯まった使用済み燃料をどう処理処分するかの問題がある。
今後も原発を使う場合には、燃料サイクルをウラン・プルトニウムではなく、トリウムサイクルにすべきである。トリウムは使用済み燃料中に現在のウラン燃料の場合のようにプルトニウムやマイナーアクチノイドなどの長寿命の放射性物質が生じにくいので使用済み燃料の処分問題が格段に楽になる。なお、トリウムはそのままでは核分裂しないが、中性子を吸収することでウラン233という、現在原発で使われている燃料のウラン235より軽い核分裂性のウランができるので、これを利用する。これを作るとき同時にウラン232も混在してできるがこれは崩壊して行く過程で強いガンマ線を出すので、トリウムからできるウランは、放射線の遮蔽がなされている発電施設では取り扱えても、核兵器の材料としてはプルトニウムに比べて取り扱いにくく不向きである。既存の原発の寿命が来たら原子力発電をやめるのであれば、トリウムサイクルの開発をする必要はないが、数十年以上原子力発電を続けるのであればトリウムサイクルを開発する時間はある。
高速炉の研究をする場合には、フランスの高速炉ASTRIDの開発に協力することに反対ではないが、これはあくまで国際共同研究であって、高速炉を作るのであれば日本独自の開発計画をもつ必要がある。中断しているFACTを再開するのも良いと思うが、より積極的にはトリウム炉の研究開発を採り入れるべきである。
使用済み燃料の処理処分については、これまで「もんじゅ」をそのために使うということにしてきたが、それは「もんじゅ」を廃炉にしないための方便のようなこじつけで、「もんじゅ」である必要はない。今回の決定では、そのためには別の高速炉で研究をするというような説明がなされているが、語るに落ちたという感じである。
そもそも使用済み燃料の処理処分はまだ基礎研究の段階である。その研究用装置としては、臨界状態で動かす必要がある原子炉よりも、未臨界から臨界まで様々な条件で試験ができる加速器駆動システム(ADS)の方が有利である。処理処分の実用機ということではなく、そのような試験研究装置として、「もんじゅ」の敷地と建物等を可能な限り利用して、ADSの建設をすることをすすめるべきである。
ADSの予備的実験は京都大学原子炉実験所でなされており、より本格的な要素技術開発研究が日本原子力研究開発機構でJ-PARCを利用して行われているので、「もんじゅ」関係の研究者とともにこれらの研究者を結集して本格的なシステムの実現を図ることはできるであろう。
地元は「もんじゅ」が廃炉になることに不満だといわれるが、いつまた事故を起こすかもしれない「もんじゅ」にこだわっているのではなく、研究拠点の存続を求めているのだと察する。そのためにも今後原子力発電を続けるにせよやめるにせよ必要な試験研究用装置である加速器駆動システム(ADS)を敦賀に建設するのが、地元の期待に応える最も良い方法であろう。
象徴天皇制 ― 2016年08月09日 11:31
8月8日午後3時に天皇陛下のお言葉が放送された。初めは高齢になったので若い者と交代したいということだと思って聞いていたが、よく聞いているうちにこれは象徴天皇制そのものの話であると気がついた。
神武天皇を始祖とする天照大神を祭る一族が各地の豪族を征服し大和政権を樹立する。その首長である天皇は政治的も軍事的にも最高の権力を維持する必要があった。その権力の維持のために、たびたび争いがあり、必ずしも安定した王朝ではなかったと思われるが、白村江の敗戦後の外圧を利用して、中央集権的律令制国家を創って天皇の地位を強化したのは天武天皇である。
天武天皇から桓武天皇の頃までは天皇は名実ともに最高権力者であり、豪族あるいは重臣の推挙があってのことはいえ、皇族の世襲制が維持される。皇子が幼少では最高権力者としての役目が果たせないので、その場合は女性皇族が皇子の成長まで皇位につくこともあった。摂政を置くときも皇族であった。
しかし、藤原氏が摂政関白に就くようになると、天皇は政治面での最高権力者とはいえなくなった。鎌倉時代、特に承久の変以後は完全に政治の中心からは遠ざかった。後醍醐天皇が一時親政を行うものの、失敗し、以後明治に到るまで、武家が政治権力者であり、天皇の役割は伝統文化の護持者というものであった。しかし、政治的権力者の地位を降りた天皇制は約1000年間にわたり安定した時期にあったといえる。
明治政府は王政復古を旗印としたので、天皇親政の形を採用しようとするが、その実、その行動は内閣や軍部に制御される仕組みになっていった。「皇太子に生まれることは最大の不幸」と明治憲法を作った伊藤博文が言ったとかいう話があるが、明治維新政府の本質が分かっている者の本音であろう。実力は奪われているのに全責任だけがあるという天皇制は天皇家にとって無力で存続が危うい制度である。この明治憲法下の天皇制をわが国の国体と称して敗戦後も維持しようとした人達がいるが、その思いとは裏腹に、天皇制を安定して長期に守ろうとする人達とはいえない。
幸か不幸か新憲法では天皇は国の象徴、国民統合の象徴ということになった。象徴、symbolとはなにか、ということは新憲法が制定された初めから国民にとってもよく分からないものであった。明治憲法下の制約のある天皇制を知る昭和天皇にとっても多くに政治家にとっても、象徴天皇は天皇制存続のための方便であるという程度の認識であったかもしれないが、それを継がなければならない皇太子にとっては方便では済まされないから、象徴天皇とは何かについて誰よりも真剣に考えておられたのではないか。そして皇位についたとき自分の考える象徴天皇の在り方を実践してこられたのであろう。そしてその経験から、この象徴天皇こそが天皇家を長期にわたり安定的に存続させる道であると確信しておられるのではないかと思われる。それ故にその役割を限りなく減少させることや代役を置くことは象徴天皇の意味を減じ、やがて天皇家の存在意義がなくなると感じておられるのではないか。
生前退位は明治憲法的国体の維持を求める人にとっては認められないのかもしれないが、その国体こそ天皇制にとって危ういものであり、象徴天皇を実質的に機能させることが天皇家を守ることであり、そのためには高齢化して象徴天皇の任務を十分に果たせなくなった場合は退位して後継者に象徴としての役割を十分に果たしてもらうことが必要であるというのが、陛下のお考えであろう。
つまり問われているのは、高齢化対策ではなく、天皇制の在り方そのものの問題なのである。
神武天皇を始祖とする天照大神を祭る一族が各地の豪族を征服し大和政権を樹立する。その首長である天皇は政治的も軍事的にも最高の権力を維持する必要があった。その権力の維持のために、たびたび争いがあり、必ずしも安定した王朝ではなかったと思われるが、白村江の敗戦後の外圧を利用して、中央集権的律令制国家を創って天皇の地位を強化したのは天武天皇である。
天武天皇から桓武天皇の頃までは天皇は名実ともに最高権力者であり、豪族あるいは重臣の推挙があってのことはいえ、皇族の世襲制が維持される。皇子が幼少では最高権力者としての役目が果たせないので、その場合は女性皇族が皇子の成長まで皇位につくこともあった。摂政を置くときも皇族であった。
しかし、藤原氏が摂政関白に就くようになると、天皇は政治面での最高権力者とはいえなくなった。鎌倉時代、特に承久の変以後は完全に政治の中心からは遠ざかった。後醍醐天皇が一時親政を行うものの、失敗し、以後明治に到るまで、武家が政治権力者であり、天皇の役割は伝統文化の護持者というものであった。しかし、政治的権力者の地位を降りた天皇制は約1000年間にわたり安定した時期にあったといえる。
明治政府は王政復古を旗印としたので、天皇親政の形を採用しようとするが、その実、その行動は内閣や軍部に制御される仕組みになっていった。「皇太子に生まれることは最大の不幸」と明治憲法を作った伊藤博文が言ったとかいう話があるが、明治維新政府の本質が分かっている者の本音であろう。実力は奪われているのに全責任だけがあるという天皇制は天皇家にとって無力で存続が危うい制度である。この明治憲法下の天皇制をわが国の国体と称して敗戦後も維持しようとした人達がいるが、その思いとは裏腹に、天皇制を安定して長期に守ろうとする人達とはいえない。
幸か不幸か新憲法では天皇は国の象徴、国民統合の象徴ということになった。象徴、symbolとはなにか、ということは新憲法が制定された初めから国民にとってもよく分からないものであった。明治憲法下の制約のある天皇制を知る昭和天皇にとっても多くに政治家にとっても、象徴天皇は天皇制存続のための方便であるという程度の認識であったかもしれないが、それを継がなければならない皇太子にとっては方便では済まされないから、象徴天皇とは何かについて誰よりも真剣に考えておられたのではないか。そして皇位についたとき自分の考える象徴天皇の在り方を実践してこられたのであろう。そしてその経験から、この象徴天皇こそが天皇家を長期にわたり安定的に存続させる道であると確信しておられるのではないかと思われる。それ故にその役割を限りなく減少させることや代役を置くことは象徴天皇の意味を減じ、やがて天皇家の存在意義がなくなると感じておられるのではないか。
生前退位は明治憲法的国体の維持を求める人にとっては認められないのかもしれないが、その国体こそ天皇制にとって危ういものであり、象徴天皇を実質的に機能させることが天皇家を守ることであり、そのためには高齢化して象徴天皇の任務を十分に果たせなくなった場合は退位して後継者に象徴としての役割を十分に果たしてもらうことが必要であるというのが、陛下のお考えであろう。
つまり問われているのは、高齢化対策ではなく、天皇制の在り方そのものの問題なのである。
ダッカ「日本人だ、撃たないでくれ」が通じるか? ― 2016年07月05日 17:36
ダッカの有名なレストランで武装グループによる発砲事件が起こり、イタリア人9名、日本人7名を含む外国人22名が犠牲になった。日本人は全てJICAやJICAに関連する仕事のために滞在していた人達で、バングラデシュの発展のために献身的な努力をしていた人達だという。被害者やその家族、関係者の無念さを思うと、本当に痛ましく残念に思う。
武装グループのメンバーは、いずれもバングラデシュの裕福な家庭の子弟で、高学歴だという。レストランに入った後、彼らは客をイスラム教徒とそれ以外の者に区別し、バングラデシュ人達は別室で食事も与えられていた。明らかに外国人を狙った襲撃事件である。
襲撃の時に、「日本人だ、撃たないでくれ」といった人がいるという報道に対して、元外交官が、「日本人なら安全というのは昔話で、ISは安倍首相に対してお前の国民を場所を問わず殺戮すると言っていたではないか」とコメントしたところ、これに対してネット空間で「テロリストの仲間か」などと批判が集中しているという。
現在のISなどの実情は、私は知らないので上記の議論にコメントすることはできないが、今回の武装グループがイスラム教徒以外の外国人を狙ったことだけは事実である。バングラデシュは親日国であるという。ではなぜ「日本人だ、撃たないでくれ」が通じないのか。
テレビ等では、日本が先進国では最初にバングラデシュの独立を認めたこととか、多額のODA援助のことが報道されている。特にジャムナ橋の工事で多額の援助をした時には、金は出したが日本のゼネコンが工事したわけではないと、ゼネコンの金儲けのための援助ではないかのように報道されている。しかし実は入札で技術審査の段階で韓国企業に負けただけのことだという。最近は官民挙げて日本企業の受注を目指しているように見える。新興国では政府関係者の汚職などの問題もあるかもしれないが、援助そのものはその国の民生に役立っているはずで、援助する側が憎まれるのは筋違いともいえる。
しかし、イスラム世界では、援助される者は礼を言わず、援助する側が援助させてもらったことを感謝すべきなのだという。イスラムはその歴史のはじめ戦争ばかりしていたので、その犠牲になって社会的弱者になった者が多く、平等に扱うなら妻を4人までもっても良いというのは、戦争で夫を失った女性達を経済的に救うための、いわば社会保障制度だったという。援助される者が礼を言わなくて良いというのも、援助する方が奢らず、援助される方が卑屈にならない社会にするために、そういうことにしたのかもしれない。
しかし、そうはいっても援助されるだけで、援助する側になれないものの心は、屈折するのではないだろうか。互酬性社会ではものを贈られた側は贈りかえす心の負担を感じることを前提として社会が成り立っているというが、負担を感じる一方だと誇りが持てず、不満がたまるのではないか。高学歴でも、それを活かす仕事が少ないといった悪条件が重なると、その不満が、援助する側にぶつけられるという理不尽なことも起こるのかもしれないと思った。
武装グループのメンバーは、いずれもバングラデシュの裕福な家庭の子弟で、高学歴だという。レストランに入った後、彼らは客をイスラム教徒とそれ以外の者に区別し、バングラデシュ人達は別室で食事も与えられていた。明らかに外国人を狙った襲撃事件である。
襲撃の時に、「日本人だ、撃たないでくれ」といった人がいるという報道に対して、元外交官が、「日本人なら安全というのは昔話で、ISは安倍首相に対してお前の国民を場所を問わず殺戮すると言っていたではないか」とコメントしたところ、これに対してネット空間で「テロリストの仲間か」などと批判が集中しているという。
現在のISなどの実情は、私は知らないので上記の議論にコメントすることはできないが、今回の武装グループがイスラム教徒以外の外国人を狙ったことだけは事実である。バングラデシュは親日国であるという。ではなぜ「日本人だ、撃たないでくれ」が通じないのか。
テレビ等では、日本が先進国では最初にバングラデシュの独立を認めたこととか、多額のODA援助のことが報道されている。特にジャムナ橋の工事で多額の援助をした時には、金は出したが日本のゼネコンが工事したわけではないと、ゼネコンの金儲けのための援助ではないかのように報道されている。しかし実は入札で技術審査の段階で韓国企業に負けただけのことだという。最近は官民挙げて日本企業の受注を目指しているように見える。新興国では政府関係者の汚職などの問題もあるかもしれないが、援助そのものはその国の民生に役立っているはずで、援助する側が憎まれるのは筋違いともいえる。
しかし、イスラム世界では、援助される者は礼を言わず、援助する側が援助させてもらったことを感謝すべきなのだという。イスラムはその歴史のはじめ戦争ばかりしていたので、その犠牲になって社会的弱者になった者が多く、平等に扱うなら妻を4人までもっても良いというのは、戦争で夫を失った女性達を経済的に救うための、いわば社会保障制度だったという。援助される者が礼を言わなくて良いというのも、援助する方が奢らず、援助される方が卑屈にならない社会にするために、そういうことにしたのかもしれない。
しかし、そうはいっても援助されるだけで、援助する側になれないものの心は、屈折するのではないだろうか。互酬性社会ではものを贈られた側は贈りかえす心の負担を感じることを前提として社会が成り立っているというが、負担を感じる一方だと誇りが持てず、不満がたまるのではないか。高学歴でも、それを活かす仕事が少ないといった悪条件が重なると、その不満が、援助する側にぶつけられるという理不尽なことも起こるのかもしれないと思った。
「もんじゅ」の運営主体 ― 2016年05月05日 16:44
文部科学省の「もんじゅ」の在り方に関する検討会が「新たな運営主体が備えるべき要件」の骨子案を示した。その要点は以下の4点である。
1. 研究開発段階炉の特性を踏まえた、ナトリウム冷却高速炉にふさわしい保全プログラムの遂行能力を有すること
2. 発電プラントとしての保守管理・品質保証のための体制・能力を有するとともに適切な人材育成ができること
3. 保守管理・品質保証の信頼性の向上に資する情報の収集・活用能力及びナトリウム冷却高速炉に特有な技術力等を有すること
4. 社会の関心・要請を適切に運営に反映できる、強力なガバナンスを有すること
この「骨子案」は原子力規制委員会の指摘に応えているようではあるが、「もんじゅ」の技術面での根本的問題に向き合っていない。
「もんじゅ」が運転停止に到ったのは運転開始後、暫くしていわゆるナトリウム漏れ事件が起こり、その14年後にやっと運転再開にこぎ着けたものの、その直後に炉内中継装置の事故で再び運転停止し今に到っている。このことを最初に問題としなければならない。
さらにその間、保安検査での失態が続いて原子力規制委員会から勧告が突きつけられたということになるが、規制委員会になってからの失態はいわばソフトの問題である。ナトリウム漏れ事件に関しては事故後の隠蔽体質も問題になったが、それを別に考えると、ハードの問題としてはナトリウム漏れ事故と炉内中継装置の事故である。この2件はいずれも初期の設計段階の稚拙な設計ミスであって、現在の所員の能力の問題ではない。このことに触れていない今回の「骨子案」はそもそもの問題点の解決になっていない。
つまり「もんじゅ」は欠陥商品であるおそれがある。それは設計当時の日本の技術力の限界であったというような高級な話ではなく、二つの事故の原因は普通の経験ある機械工学の専門家であれば犯さないような素人的な設計ミスである。したがって他にもそのような設計ミスがあるのではないかという心配がある。製品に問題が無いとして保全だけの能力を求めているのは危険である。
燃料サイクルや高速炉の進め方に関しては現在の「もんじゅ」にこだわらず、新しい考え方をすべきであると、個人的には思うが、かりに「もんじゅ」の運転を目指すのであれば、この「骨子案」の前段階として、まず以下のように進めるべきである。
1. 最初から設計し直すような気持ちを持って、すべての設計図を細部にわたり問題が無いかどうか点検する。そのうえで、設計図と現実の部品等を照合して、設計図通りになっているかどうかを点検する。分解点検も必要となるので、核燃料とナトリウムは作業中「もんじゅ」から撤去保管しておく。旧動燃ではメーカーへの丸投げ体質があったと言われているが、この作業を通じて設計の全てを自分たちのものとする。
2. その作業により現在の基準では適切でない部分が見つかれば改善する。
3. これらの経験を踏まえて適切な保守管理基準と体制を作る。
さしあたり核燃料とナトリウムを「もんじゅ」本体から撤去することで、原子力規制委員会が求める運営主体の当面の能力として、現在の「もんじゅ」関係者が主になった組織でも資格ありとされる可能性はある。
ただし、個人的に「もんじゅ」関係者以外の原子力機構の職員に以上の考えを述べてみると「彼らにそこまで徹底してやる能力も気力も無い」などと言われる。
もしそうなら原子力機構全体として「もんじゅ」のかわりに「もんじゅ」の敷地と施設を可能なかぎり利用する新しい研究開発計画を立案・推進すべきである。
その内容としては、ナトリウム冷却型の高速炉の研究開発は「常陽」を使って基礎実験を行い、設計研究は中断しているFaCTの再開で行い、国際的な共同研究としてはASTRIDで行うことにする一方、「もんじゅ」の現在のミッションである長寿命の放射性廃棄物の減容低減の研究開発は、「もんじゅ」の敷地と設備を可能な限り利用しつつ、すでに基礎研究が始められている加速器駆動システム(ADS)の試験機を建設して開発研究を推進すべきであると考える。
1. 研究開発段階炉の特性を踏まえた、ナトリウム冷却高速炉にふさわしい保全プログラムの遂行能力を有すること
2. 発電プラントとしての保守管理・品質保証のための体制・能力を有するとともに適切な人材育成ができること
3. 保守管理・品質保証の信頼性の向上に資する情報の収集・活用能力及びナトリウム冷却高速炉に特有な技術力等を有すること
4. 社会の関心・要請を適切に運営に反映できる、強力なガバナンスを有すること
この「骨子案」は原子力規制委員会の指摘に応えているようではあるが、「もんじゅ」の技術面での根本的問題に向き合っていない。
「もんじゅ」が運転停止に到ったのは運転開始後、暫くしていわゆるナトリウム漏れ事件が起こり、その14年後にやっと運転再開にこぎ着けたものの、その直後に炉内中継装置の事故で再び運転停止し今に到っている。このことを最初に問題としなければならない。
さらにその間、保安検査での失態が続いて原子力規制委員会から勧告が突きつけられたということになるが、規制委員会になってからの失態はいわばソフトの問題である。ナトリウム漏れ事件に関しては事故後の隠蔽体質も問題になったが、それを別に考えると、ハードの問題としてはナトリウム漏れ事故と炉内中継装置の事故である。この2件はいずれも初期の設計段階の稚拙な設計ミスであって、現在の所員の能力の問題ではない。このことに触れていない今回の「骨子案」はそもそもの問題点の解決になっていない。
つまり「もんじゅ」は欠陥商品であるおそれがある。それは設計当時の日本の技術力の限界であったというような高級な話ではなく、二つの事故の原因は普通の経験ある機械工学の専門家であれば犯さないような素人的な設計ミスである。したがって他にもそのような設計ミスがあるのではないかという心配がある。製品に問題が無いとして保全だけの能力を求めているのは危険である。
燃料サイクルや高速炉の進め方に関しては現在の「もんじゅ」にこだわらず、新しい考え方をすべきであると、個人的には思うが、かりに「もんじゅ」の運転を目指すのであれば、この「骨子案」の前段階として、まず以下のように進めるべきである。
1. 最初から設計し直すような気持ちを持って、すべての設計図を細部にわたり問題が無いかどうか点検する。そのうえで、設計図と現実の部品等を照合して、設計図通りになっているかどうかを点検する。分解点検も必要となるので、核燃料とナトリウムは作業中「もんじゅ」から撤去保管しておく。旧動燃ではメーカーへの丸投げ体質があったと言われているが、この作業を通じて設計の全てを自分たちのものとする。
2. その作業により現在の基準では適切でない部分が見つかれば改善する。
3. これらの経験を踏まえて適切な保守管理基準と体制を作る。
さしあたり核燃料とナトリウムを「もんじゅ」本体から撤去することで、原子力規制委員会が求める運営主体の当面の能力として、現在の「もんじゅ」関係者が主になった組織でも資格ありとされる可能性はある。
ただし、個人的に「もんじゅ」関係者以外の原子力機構の職員に以上の考えを述べてみると「彼らにそこまで徹底してやる能力も気力も無い」などと言われる。
もしそうなら原子力機構全体として「もんじゅ」のかわりに「もんじゅ」の敷地と施設を可能なかぎり利用する新しい研究開発計画を立案・推進すべきである。
その内容としては、ナトリウム冷却型の高速炉の研究開発は「常陽」を使って基礎実験を行い、設計研究は中断しているFaCTの再開で行い、国際的な共同研究としてはASTRIDで行うことにする一方、「もんじゅ」の現在のミッションである長寿命の放射性廃棄物の減容低減の研究開発は、「もんじゅ」の敷地と設備を可能な限り利用しつつ、すでに基礎研究が始められている加速器駆動システム(ADS)の試験機を建設して開発研究を推進すべきであると考える。
もんじゅ検討会への期待 ― 2015年11月18日 17:53
原子力規制委員会は、平成27年11月13日付けで、文部科学大臣に対し、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(以下「機構」という)が設置する高速増殖原型炉もんじゅ(以下「もんじゅ」という)に関して以下に記す事項について検討し、おおむね半年を目途として、これらについて講ずる措置の内容を示すよう勧告をおこなった。
一 機構に代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること。
二 もんじゅの出力運転を安全に行う能力を有する者を具体的に特定することが困難であるのならば、もんじゅが有する安全上のリスクを明確に減少させるよう、もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を抜本的に見直すこと。
これを受けて、馳浩文部科学大臣は12月半ばにも検討会を開催し、来年の夏までには結論を出したいという見解を述べている。
そこで検討会に期待する私見を以下に述べる。
上記の一に関して、もんじゅに関わる職員は機構以外にもんじゅを運転できる者はないと自負しており、機構の児玉理事長も機構としてもんじゅに対する責務を果たしていくことを表明している。おそらく原子力規制委員会も多くの原子力関係者ももんじゅを運転するとすれば機構以外にはできるところはないと考えていると思われる。つまり、規制委員会も機構も一が不可能であるという点では一致しているであろう。規制委員会はそれに対する助け船として、もんじゅの在り方を抜本的に見直すという選択を勧めていると考えられる。
一の検討にあたって、これまでもんじゅの設置者は旧動燃から始まり、核燃料サイクル機構に看板を書き換え、さらに原研と統合して現在の機構にと看板が換わったが、事態は改善されなかった背景も考慮してか、看板の書き換えでは済まないと規制委員長は述べている。したがって、今後もんじゅ部門を独立させてもんじゅ発電所としたり、日本原電に統合したりするのではこれまで同様の看板の書き換えということになり受け入れられないであろう。そのような状況で、ゼロから機構に代わる組織探しの検討を行えば半年かけても結論が出ないかも知れない。そのうちに参議院選挙が近づき、政治的な配慮に巻き込まれ、検討会での純粋な科学技術的な議論が歪められるおそれが出てくる。
したがって検討会では、まず一については困難であることを確認し、二について検討を急ぐべきである。
上記の二に記されている、もんじゅの在り方を抜本的に見直すということに関しては、もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を問われているのであり、高速増殖炉の研究開発や核燃料サイクルの政策を問われているのではない。原子力規制委員会におけるもんじゅの議論に関して、林幹雄経済産業相が6日の閣議後の記者会見で「政策に直接影響を及ぼすものではない。計画通り核燃料サイクルは推進していく」と述べているのは勧告に対するそうした認識を示していると考えられる。
高速増殖炉の研究開発に関しては、福島の事故で中断したとはいえ、高速増殖炉サイクル実用化研究開発(英語名FaCT)というプロジェクトを経産省・文科省・電気事業者・メーカー・原子力機構の五者協議会のもとで進めており、さらに昨年5月安倍首相訪仏時に、フランスの第4世代ナトリウム冷却高速炉実証炉(ASTRID)計画に参加すべく協力に関する取決めに署名している。
これらの研究開発にとって、もんじゅの成果を利用することが期待されてはいるが、必ずしも今後もんじゅを再稼働することが不可欠ではなく、これまでの経験をまとめて報告することで、研究開発に貢献できるであろう。また高速炉の基礎研究のためには、引き続き機構の高速炉「常陽」を利用することができる。
一方、昨年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画において、もんじゅに関しては今後廃棄物の減容・有害度低減等の研究を行う拠点とし、これまでの研究の成果のとりまとめに入ることが期待されている。これはもんじゅの高速増殖炉研究の使命を終えることを認めたうえで、もんじゅを残すために廃棄物の減容等の課題を付け足したものと考えられるが、付け足された課題についてはもんじゅを使わねばできないということではない。
したがって検討会ではまず「もんじゅから燃料とナトリウムを抜き去り、今後(廃炉を視野に入れて)、もんじゅの運転再開はしないこととして運転中止し、安全に管理する。」ことを早急に決定し、その上で廃棄物の減容等の課題のための方策について時間をかけて検討すべきである。
燃料とナトリウムが無い状態で再稼働しないということであれば、その安全管理に関して機構に能力があることを規制委員会も認めると考える。
その後のこととして、もんじゅの敷地は活断層の有無などに関して原子力施設がおけないという判断ではないことから、もんじゅの敷地や建物を利用できる限り利用して、廃棄物の減容等の新しい試験研究施設を設置することにより、エネルギー基本計画との整合性をはかり、地元の理解を得るようにする。
なお、新しい施設として例えば、加速器駆動システム、プルトニウム・ウラン混合燃料(MOX)の代わりにプルトニウム・トリウム混合燃料にする、冷却剤にナトリウムを使う代わりに鉛・ビスマスを使う、などの基礎研究開発のための試験研究施設が考えられる。これらの研究の一部は既に機構においてJPARCを利用するなどして要素設計研究が始められていることでもあり、旧原研と旧核燃料サイクル機構との統合を象徴する事業として、機構の組織改革にも資する計画となるであろう。
一 機構に代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること。
二 もんじゅの出力運転を安全に行う能力を有する者を具体的に特定することが困難であるのならば、もんじゅが有する安全上のリスクを明確に減少させるよう、もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を抜本的に見直すこと。
これを受けて、馳浩文部科学大臣は12月半ばにも検討会を開催し、来年の夏までには結論を出したいという見解を述べている。
そこで検討会に期待する私見を以下に述べる。
上記の一に関して、もんじゅに関わる職員は機構以外にもんじゅを運転できる者はないと自負しており、機構の児玉理事長も機構としてもんじゅに対する責務を果たしていくことを表明している。おそらく原子力規制委員会も多くの原子力関係者ももんじゅを運転するとすれば機構以外にはできるところはないと考えていると思われる。つまり、規制委員会も機構も一が不可能であるという点では一致しているであろう。規制委員会はそれに対する助け船として、もんじゅの在り方を抜本的に見直すという選択を勧めていると考えられる。
一の検討にあたって、これまでもんじゅの設置者は旧動燃から始まり、核燃料サイクル機構に看板を書き換え、さらに原研と統合して現在の機構にと看板が換わったが、事態は改善されなかった背景も考慮してか、看板の書き換えでは済まないと規制委員長は述べている。したがって、今後もんじゅ部門を独立させてもんじゅ発電所としたり、日本原電に統合したりするのではこれまで同様の看板の書き換えということになり受け入れられないであろう。そのような状況で、ゼロから機構に代わる組織探しの検討を行えば半年かけても結論が出ないかも知れない。そのうちに参議院選挙が近づき、政治的な配慮に巻き込まれ、検討会での純粋な科学技術的な議論が歪められるおそれが出てくる。
したがって検討会では、まず一については困難であることを確認し、二について検討を急ぐべきである。
上記の二に記されている、もんじゅの在り方を抜本的に見直すということに関しては、もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を問われているのであり、高速増殖炉の研究開発や核燃料サイクルの政策を問われているのではない。原子力規制委員会におけるもんじゅの議論に関して、林幹雄経済産業相が6日の閣議後の記者会見で「政策に直接影響を及ぼすものではない。計画通り核燃料サイクルは推進していく」と述べているのは勧告に対するそうした認識を示していると考えられる。
高速増殖炉の研究開発に関しては、福島の事故で中断したとはいえ、高速増殖炉サイクル実用化研究開発(英語名FaCT)というプロジェクトを経産省・文科省・電気事業者・メーカー・原子力機構の五者協議会のもとで進めており、さらに昨年5月安倍首相訪仏時に、フランスの第4世代ナトリウム冷却高速炉実証炉(ASTRID)計画に参加すべく協力に関する取決めに署名している。
これらの研究開発にとって、もんじゅの成果を利用することが期待されてはいるが、必ずしも今後もんじゅを再稼働することが不可欠ではなく、これまでの経験をまとめて報告することで、研究開発に貢献できるであろう。また高速炉の基礎研究のためには、引き続き機構の高速炉「常陽」を利用することができる。
一方、昨年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画において、もんじゅに関しては今後廃棄物の減容・有害度低減等の研究を行う拠点とし、これまでの研究の成果のとりまとめに入ることが期待されている。これはもんじゅの高速増殖炉研究の使命を終えることを認めたうえで、もんじゅを残すために廃棄物の減容等の課題を付け足したものと考えられるが、付け足された課題についてはもんじゅを使わねばできないということではない。
したがって検討会ではまず「もんじゅから燃料とナトリウムを抜き去り、今後(廃炉を視野に入れて)、もんじゅの運転再開はしないこととして運転中止し、安全に管理する。」ことを早急に決定し、その上で廃棄物の減容等の課題のための方策について時間をかけて検討すべきである。
燃料とナトリウムが無い状態で再稼働しないということであれば、その安全管理に関して機構に能力があることを規制委員会も認めると考える。
その後のこととして、もんじゅの敷地は活断層の有無などに関して原子力施設がおけないという判断ではないことから、もんじゅの敷地や建物を利用できる限り利用して、廃棄物の減容等の新しい試験研究施設を設置することにより、エネルギー基本計画との整合性をはかり、地元の理解を得るようにする。
なお、新しい施設として例えば、加速器駆動システム、プルトニウム・ウラン混合燃料(MOX)の代わりにプルトニウム・トリウム混合燃料にする、冷却剤にナトリウムを使う代わりに鉛・ビスマスを使う、などの基礎研究開発のための試験研究施設が考えられる。これらの研究の一部は既に機構においてJPARCを利用するなどして要素設計研究が始められていることでもあり、旧原研と旧核燃料サイクル機構との統合を象徴する事業として、機構の組織改革にも資する計画となるであろう。
ポツダム宣言と降伏の作法 ― 2015年05月23日 16:16
安倍首相が共産党の志位委員長との党首討論で、ポツダム宣言をつまびらかには読んでいないという国会答弁をしたことが話題になっている。どうも本当に読んでないようなので、安倍首相は戦後レジームの脱却をとなえているが、こんな日本国総理大臣で本当に中国やロシアにはもちろんアメリカにも理解が得られるのであろうかと危ぶまれる。
昭和天皇は昭和20年8月14日に、戦況が悪いので「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲」して、ポツダム宣言を受諾することにするという「終戦の詔書」を発した。この終戦の詔書は天皇自ら読みあげて録音され、翌8月15日いわゆる玉音放送として、NHKより全国民にむけて放送された。
ポツダム宣言は1945年(昭和20年)7月26日米国、英国、中華民国の首脳の名の下にポツダムで宣言され、後にソ連も加わったもので、13項目からなり、無条件降伏を求め、領土問題に関してはそれに先立つ1943年12月1日のカイロ宣言を履行することに触れている。
連合国側に対する降伏の作法としては、天皇は昭和20年9月2日に政府と大本営に対して降伏文書に署名するよう命じたという内容の「降伏文書調印に関する詔書」を発し、同日米艦ミズーリ号上で降伏文書が調印された。
領土問題に関して、カイロ宣言では「(米英中3国)同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」とある。
カイロ宣言に関しては、署名がないなどと、その有効性に対して台湾独立派から疑問を呈する向きもあるが、いずれにしてもポツダム宣言の第8項は「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」となっているので、日本が本州、北海道、九州及四国以外の島に関して主権があるかどうかは連合国が決めることを認めたことになる。
なお日本に知らされたことではないが、1945年2月11日に米英ソ間でヤルタ協定が結ばれ、ソ連を参戦させる条件として日露戦争でロシアから得た日本の領土権益は旧に復すること千島列島はソ連に引き渡すことなどが認められている。
ポツダム宣言は連合国側の主張として第6項で「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去」することを宣言している。戦争は外交の失敗の結果であるから、間違った戦争とか正しい戦争とかの議論はあまり意味が無いのだが、降伏文書に署名した以上、日本の戦争の大義や日本側の領土に関する認識を主張してみても相手には通用しない。とりわけ現在のロシアと中華人民共和国には通用しないであろう。現在の問題として粘り強く外交努力を続けるしかない。
昭和天皇は昭和20年8月14日に、戦況が悪いので「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲」して、ポツダム宣言を受諾することにするという「終戦の詔書」を発した。この終戦の詔書は天皇自ら読みあげて録音され、翌8月15日いわゆる玉音放送として、NHKより全国民にむけて放送された。
ポツダム宣言は1945年(昭和20年)7月26日米国、英国、中華民国の首脳の名の下にポツダムで宣言され、後にソ連も加わったもので、13項目からなり、無条件降伏を求め、領土問題に関してはそれに先立つ1943年12月1日のカイロ宣言を履行することに触れている。
連合国側に対する降伏の作法としては、天皇は昭和20年9月2日に政府と大本営に対して降伏文書に署名するよう命じたという内容の「降伏文書調印に関する詔書」を発し、同日米艦ミズーリ号上で降伏文書が調印された。
領土問題に関して、カイロ宣言では「(米英中3国)同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」とある。
カイロ宣言に関しては、署名がないなどと、その有効性に対して台湾独立派から疑問を呈する向きもあるが、いずれにしてもポツダム宣言の第8項は「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」となっているので、日本が本州、北海道、九州及四国以外の島に関して主権があるかどうかは連合国が決めることを認めたことになる。
なお日本に知らされたことではないが、1945年2月11日に米英ソ間でヤルタ協定が結ばれ、ソ連を参戦させる条件として日露戦争でロシアから得た日本の領土権益は旧に復すること千島列島はソ連に引き渡すことなどが認められている。
ポツダム宣言は連合国側の主張として第6項で「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去」することを宣言している。戦争は外交の失敗の結果であるから、間違った戦争とか正しい戦争とかの議論はあまり意味が無いのだが、降伏文書に署名した以上、日本の戦争の大義や日本側の領土に関する認識を主張してみても相手には通用しない。とりわけ現在のロシアと中華人民共和国には通用しないであろう。現在の問題として粘り強く外交努力を続けるしかない。
戦後70年ということ ― 2015年04月04日 15:26
2015年4月3日の朝日新聞で、佐伯啓思氏が「戦後70年」に関して、1952年4月28日にサンフランシスコ講和会議が発効し、この時をもって連合国との戦争状態は終了するとされており、戦後はこの時から始まるので今年は「戦後63年」であると述べている。その上で1945年8月15日は敗戦の日で、その日から、あるいは正確には降伏文書に署名した9月2日から主権を剥奪された占領下にあった。主権が奪われた状態で憲法を制定できるのであろうか、という原則論を展開している。
なるほどそういう議論はもっともであると思う。しかし何か違和感がある。白井聡氏の「永続敗戦論」を読んだときも。全くその通りで自分たちの戦中戦後を経験した世代にとって新しい受け止め方とは思わなかったが、敗戦直後の雰囲気の受け止め方に少しだけ違和感を感じた。
この違和感がどうして起こるのかを考えてみるに、どうも戦中や敗戦直後のことは自分たちにとっては生きてきた「現在」であるのに対して、若い世代(佐伯氏はもう若くはないが戦後生まれで物心ついた頃には日本は主権を回復していたであろう)にとって敗戦直後のことは「過去の歴史」なのかも知れないということである。
日本で敗戦という言葉の代わりに終戦という言葉を使い、民主的日本再生の「物語」を作ったということは事実であるが、占領軍が闊歩していた当時の日本人が敗戦を認めていなかったなどということはありえない。しかし、一方で日本が負けたにもかかわらず天皇は連合国側からみた戦犯にもならず、国内的にも責任を取らず退位もしなかったという事実もある。戦中の大本営発表を含めて、戦中戦後の「物語」がまさしくフィクションであることを当時の日本人は言わずもがなのこととして分かっていた。
経験していても昔のことを上手に思い出すことは難しい。まして経験していない世代にとっては文献学的に過去のことを想像するしかない。歴史認識というものは所詮そういうものであろうから、一人ひとり異なっていても当然であろう。このところ言わずもがなのこととして戦争のことを話さずにいた老人たちが、このままでは自分たちの経験が活かされないと重い口を開き始めているが、うまく伝わるのであろうか。
1952年以後、主権を回復したということも実は怪しいのではないであろうか。少なくとも防衛と原子力に関しては独立国とはいえないことを当事者と外務省はよく分かっていると感じる。棺桶に片足突っ込んだ人間が言っても仕方ないことと思いつつも、政治家たちが戦後70年でまた新しい「物語」を、今度はフィクションだと思いもしないで、作るのではないかと気にかかる。
なるほどそういう議論はもっともであると思う。しかし何か違和感がある。白井聡氏の「永続敗戦論」を読んだときも。全くその通りで自分たちの戦中戦後を経験した世代にとって新しい受け止め方とは思わなかったが、敗戦直後の雰囲気の受け止め方に少しだけ違和感を感じた。
この違和感がどうして起こるのかを考えてみるに、どうも戦中や敗戦直後のことは自分たちにとっては生きてきた「現在」であるのに対して、若い世代(佐伯氏はもう若くはないが戦後生まれで物心ついた頃には日本は主権を回復していたであろう)にとって敗戦直後のことは「過去の歴史」なのかも知れないということである。
日本で敗戦という言葉の代わりに終戦という言葉を使い、民主的日本再生の「物語」を作ったということは事実であるが、占領軍が闊歩していた当時の日本人が敗戦を認めていなかったなどということはありえない。しかし、一方で日本が負けたにもかかわらず天皇は連合国側からみた戦犯にもならず、国内的にも責任を取らず退位もしなかったという事実もある。戦中の大本営発表を含めて、戦中戦後の「物語」がまさしくフィクションであることを当時の日本人は言わずもがなのこととして分かっていた。
経験していても昔のことを上手に思い出すことは難しい。まして経験していない世代にとっては文献学的に過去のことを想像するしかない。歴史認識というものは所詮そういうものであろうから、一人ひとり異なっていても当然であろう。このところ言わずもがなのこととして戦争のことを話さずにいた老人たちが、このままでは自分たちの経験が活かされないと重い口を開き始めているが、うまく伝わるのであろうか。
1952年以後、主権を回復したということも実は怪しいのではないであろうか。少なくとも防衛と原子力に関しては独立国とはいえないことを当事者と外務省はよく分かっていると感じる。棺桶に片足突っ込んだ人間が言っても仕方ないことと思いつつも、政治家たちが戦後70年でまた新しい「物語」を、今度はフィクションだと思いもしないで、作るのではないかと気にかかる。
最近のコメント